そこで山崎氏は5月の会合には石破茂氏を呼んだのだという。
「石破は小泉内閣で防衛庁長官として初入閣した後、大臣や党三役を経験し、これまでに4回も総裁選に挑戦した。当選回数も十分。その上、野党も経験している。経験という点で問題なしです。だから小泉の前に呼んだのです。小泉は石破の総裁選出馬について、『経験・識見にプラスして運がなければ、なれないよ』とだけ述べていた」
純一郎氏の石破氏への視線は冷めていたようだ。
出馬を「解禁」した瞬間
そんな純一郎氏が態度を変えたのは、7月中旬に行なわれた森喜朗・元首相、中川秀直・元官房長官ら清和会(旧森派)OBとジャーナリスト・田原総一朗氏との会合だった。田原氏が語る。
「森さんと中川さんが『次は進次郎だ』と強く言うから、私が、『あなたは50歳になるまではダメだと言っているが、どうなんだ』と尋ねた。小泉は『この2人が熱心に推してくれて、本人がやるというなら、私は反対しない』と言ったんです。
小泉が『50歳まで出るな』と言っていた最大の理由は国際情勢だと思う。日本は非常に複雑な立場にあるが、進次郎氏はそこまでの経験を積んでいないから、日本の置かれた状況をよくわかっていないんじゃないかと。50歳過ぎになれば経験が積めているだろうから、それまではやるなという意味です。だが、森さんと中川さんという信頼する2人がやるべきだというのなら、反対はしないという心境の変化でしょう」
実は、進次郎氏はその前の6月、菅義偉・元首相、安倍派の萩生田光一・前政調会長らと会談し、総裁選について協議していた。菅氏は小泉内閣で郵政民営化を担当した小泉ブレーンの竹中平蔵・総務相の下で副大臣を務めたし、萩生田氏は派閥の元会長の森氏と関係が深い。「進次郎擁立の動きを見て、森さんがオヤジの説得に動いた」(旧安倍派議員)との見方もある。
父のゴーサインが出ると、進次郎氏は8月10日のラジオ番組で「歩みを進めるも引くも自分で決める」と発言し、本格的な出馬準備に乗り出した。
「進次郎氏は無派閥だが、父の純一郎氏は清和会会長を務めた。森さんたちは進次郎氏を清和会の流れを汲む政治家と見ている。だから総裁選では菅さんのグループの他に、森さんや萩生田さんと関係の深い旧安倍派の議員が進次郎支持に動き、大きな勢力になっている」(同前)
進次郎氏の支持勢力拡大には、父・純一郎氏の人脈が大きく貢献していることがわかる。
(第2回に続く)
※週刊ポスト2024年9月20・27日号