津田若頭補佐は司組長付を務めていた時期もあった
7月12日、六代目山口組の津田力若頭補佐(倉本組組長)の通夜が和歌山市内の葬儀場で執り行なわれた。山口組分裂抗争中の2017年に若頭補佐に昇格し、執行部として組織運営に携わってきた津田若頭補佐の急逝にはメディア、警察関係者からも驚きの声が上がった。【前後編の後編。前編を読む】
津田若頭補佐は肝臓に持病を抱えていたとされ、闘病中の身だった。NEWSポストセブンが津田若頭を最後に見たのは、5月15日。稲川会・清田次郎総裁の葬儀だったが、喪服がブカブカになるほど痩せていたことが目を引いた。足取りこそしっかりしていたが、元々筋肉質だった津田若頭補佐の姿に警察関係者からも心配の声が上がっていたほどだった。実話誌記者もこう振り返る。
「津田若頭補佐が公の場に姿を現したのはこの日が最後ではないか。7月1〜3日に、六代目山口組の親戚・友好団体による暑中見舞いの挨拶があり、各若頭補佐が客人を出迎えたが、津田若頭補佐の姿はなかった。警察関係者も津田若頭補佐が現れるかどうか気にしている素振りでした」
14時15分、竹内照明若頭、若頭補佐らの出迎えのもと、葬儀場に司忍組長が姿を現すと警察、メディアから無数のフラッシュがたかれる。通常、司組長はトレードマークでもあるサングラスを着用し、素顔を見せる場面は少ないが、この日はサングラスも外し、険しい表情を見せたのだった。