津田若頭補佐の遺影
高山前若頭の姿が見えない
翌日は12時過ぎから葬儀が行なわれた。この日は六代目山口組の参列者は、中田若頭補佐、吉村俊平・吉川組総裁にくわえ、慶弔事を取り仕切る事務局長の篠原重則・若林組組長、慶弔委員の鈴川驗二・早野会会長、川合彰典・旭導会会長など限られた参列者だった。警察関係者はこう推測する。
「この日は津田若頭補佐が生前親しかった人や、近親者、遺族の関係者を優先したのでしょう。司組長や竹内若頭が参列するとメディアや警察関係者が多数駆けつけてしまうのは避けられない。彼らが最後のお見送りができるよう、中田若頭補佐を筆頭に最低限の参列に留めたと見られる」
葬儀は1時間ほどで終わり、参列者は合掌と黙祷をして霊柩車を見送った。現場にいた警察関係者も「和歌山でこれほど大きい通夜・葬儀は、もう見られないんじゃないか」と口にした2日間だった。
ここで気になるのが、前若頭だった高山清司相談役の姿が見られなかったことだ。高山相談役にとって津田若頭補佐は、その名の通り自らを支えてくれた忠臣に他ならない。前出・実話誌記者も首をかしげる。
「今年4月に若頭を引いて相談役に就いてからメディアの前に姿を現していません。相談役という役職は執行部から外れるため、外交や義理事に顔を出す必要もない。メディアが姿を見かけないのはおかしな話ではないのですが……。
高山相談役は体調不良説が長年指摘されていて、メディアの前に姿を見せるとどうしても話題になるところがある。関係者の話では津田若頭が亡くなった7月9日から通夜が行なわれた12日までの間に、個人的にお別れは済ませたようです。いずれにせよ高山相談役へのマスコミ、警察、世間の注目度は高いままです」
六代目山口組の一方的な抗争終結宣言から約3ヶ月が経過したが、依然、警察は六代目山口組の特定抗争指定を解除せず、厳しい態度を示している。司組長、竹内若頭はどう組織を運営していくか、注目度は高いままだ。
(了。前編を読む)