当時、広域指定暴力団の幹部だったA氏と三原じゅん子氏のツーショット
「反社関係には注意していた」
この時期は芸能人と暴力団関係者の関係に厳しい視線が向けられていた。2008年10月に、細川たかし、角川博、小林旭、松原のぶえ、中条きよしの5人が大物暴力団組長の誕生日を祝うゴルフコンペに参加したとの報道をきっかけに、NHKが5人の紅白歌合戦出場を見合わせ、タレント、政治家など著名人が反社会勢力との交遊に襟を正すようになっていた。
しかも、三原氏にとっては政界進出を準備していたタイミングだった。自叙伝『生きたい』で三原氏は当時のことをこう書いている。
〈介護施設『だんらんの家』の準備を本格的に始めたのは二〇〇九年の秋でした。(中略)子宮頸がんのサバイバーの方々と一緒にNPO団体の活動に参加していたある日のこと。サバイバー仲間達から、「三原さんが議員になってよ!」「そうだよ。三原さんが選挙に出てよ」といわれたのです〉
そして三原氏は翌年の参院選出馬に向けて自民党にアプローチする。
〈自民党に公認してもらうためには、どうしたらいいのだろう? と考えた末に、私は思い切って野田聖子先生にお手紙を書きました。単刀直入に、次の参議院選挙に参戦したいと考えていることを記し、つきましては、お力添えをいただけないでしょうかとお願いしたのです。初めてお目にかかる機会に恵まれたのは、二〇〇九年の年末だったと思います〉
時期から見みると、件の忘年会の頃だ。
三原氏は政治家になることを決意し、参院選出馬への根回しを行ないながら、その一方でゴルフコンペの表彰式や忘年会で、暴力団関係者の前で自身の代表曲を歌い、一緒に写真を撮っていたことになる。
芸能人としても、政治家としても、自覚が問われるのではないか。