理由はすでに述べたとおりだ。第一に、「大東亜戦争」を「太平洋戦争」と呼ばせ「人種差別戦争の面」を歴史から抹殺しようとしたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)つまりアメリカの陰謀。そして第二に、「大日本帝国の行為はすべて悪だ」という形で歴史を歪曲しようとする、左翼歴史学者の陰謀である。現在、つまり二〇二五年の日本において「太平洋戦争」では無く、正式な歴史的名称である「大東亜戦争」という言葉を使うことをなんとなく躊躇させるような社会的空気があるのも、彼らの陰謀である。
それでも、さすがに「太平洋戦争」ではマレー半島やインドネシアあるいはインドにおける日本軍の攻勢を表現できない。ここであらためて心配になってきたが、読者のみなさんは、日本海軍航空隊がチャーチルを蒼白にさせた、イギリス海軍の主力艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」を撃沈した海戦のことはご存じだろうか? マレー沖海戦という。
〈マレー沖海戦 まれーおきかいせん
太平洋戦争開戦直後の1941年(昭和16)12月10日に、マレー半島クワンタン沖で戦われた日英海戦。日本軍のマレー上陸作戦を阻止するため出撃したイギリス東洋艦隊の戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスの2隻を日本海軍の攻撃機が爆撃と雷撃で撃沈した。この結果、イギリス海軍はアジアでの制海権を失い、拠点シンガポールの運命が決まった。この戦いは戦艦に対する航空機の優位を実証し、戦艦中心主義の終焉を示すものとなった。〉
(『日本大百科全書〈ニッポニカ〉』 小学館刊 項目執筆者藤原彰)
さて、ここで読者のみなさんには一九四一年(昭和16)の日本にタイムスリップしていただきたい。つまり、当時の人々がどう思ったか想像していただきたいのだ。開戦は十二月八日、太平洋にあるアメリカ・ハワイ州の海軍基地を日本海軍の機動部隊が奇襲・撃破した、その二日後である。この日、今度はイギリス海軍東洋艦隊の主力戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスを撃沈したのである。つまりこの日、日本人は「アメリカにも勝った、イギリスにも勝った」と狂喜乱舞した。
では、思い出していただきたい。これまで子供のころから観た映画でもテレビドラマでもなんでもいいが、この時代を描いた作品にマレー沖海戦に勝ち日本人が狂喜乱舞する場面が登場したか? 私も全部の映画やドラマを観たわけでは無いが、そういうシーンは記憶に無い。おわかりだろう。これがアメリカの洗脳工作である。前回述べたように、「大東亜戦争→大東亜共同宣言→この戦争には人種差別戦争の要素があった」という「連想」を妨げようというアメリカの意図が、いまだに働いているのだ。
ところで、「マレー沖海戦」の項目執筆者にご注目いただきたい。日本歴史学界の権威でありながら、「朝鮮戦争は韓国側が先に仕掛けた」というデタラメを大学の教壇で講義していた藤原彰センセイである。この項目については一見、公平・客観的に過不足無く書いているように見えるが、読者のみなさんはもうおわかりだろう。「太平洋戦争」という言葉を使っているのが、学者としてダメなところである。
通常の日本語として考えれば、「太平洋戦争」とは「太平洋を戦域にした戦争」という意味だが、マレー半島は東は南シナ海、西はインド洋に面しており、太平洋は遠く離れている。つまり、学者ならずとも普通の人間ならば「この言葉はおかしいぞ」と気づくべきなのだが、そうなっていない。では、愚かにも本当に気がつかなかったのか? 気づいていながら、あえて「大東亜戦争」という言葉を抹殺するためにアメリカの意向に従ったのか? 想像を言えば、後者だろう。なぜなら、前にも述べたように藤原彰センセイは大日本帝国陸軍の将校として大東亜戦争に参戦しているからだ。アメリカの意図に気がつかないはずが無いのである。
それでも、最近は弟子筋と言うべき左翼歴史学者らが、太平洋戦争ではあまりにも変だということから、「アジア・太平洋戦争」という新しい用語を造語し定着させようと画策している。
とんでもない愚かな話だと、私は思う。
(第1463回に続く)
【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『真・日本の歴史』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。
※週刊ポスト2025年8月15・22日号