「オール日芸寄席」(金沢歌劇座)は10月8日開催(イラスト/佐野文二郎)
放送作家、タレント、演芸評論家、そして立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、ニッポン放送とTBSラジオの垣根を取っ払った件について。
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いま大型の演芸番組やら正月特番でトリをとるのは爆笑問題だ。文句のないところ。先日もBSで1時間、太田光とナイツ塙が「時事漫才の宿命」みたいなことを熱く語り合っていたが心強く感じた。太田なぞ常にその番組用に新ネタを作り、終わればポイなのだ。この効率の悪さに挑んで気がつきゃ還暦。表もウラも関係なく「日芸」の先輩として常に優しい目(本当か?)で見ている。
なんたって田中なぞまだ学生で日芸の学園祭で「高田文夫杯争奪コント大会」で太田でない相方と優勝し、私からトロフィーを持っていったのだ。爆笑問題としてプロになりしくじりもあって芸界を干され復活の舞台として出た番組の審査員が私で「文句なしということで」とこれまたウラから私が手を回し「GAHAHAキング」初代チャンピオンに。それからの快進撃はご存じの通り。爆笑がトリとしてドーンといてくれるから東京笑芸界は少し安泰だ。「助けてくれ~ッ」。
若き日談志に呼ばれ言われた。「俺はもう歳だ。若い奴らの芸がよく分からない。これからは高田がいろいろ見てやってくれ」。今の東京の笑芸界を談志が見たらどう思うのだろう。漫才に爆笑問題、ナイツ、落語に一之輔、講談に伯山、浪曲に太福、漫談のようなものにタブレット純。なかなかの夢グループである。
そんな時TBSから連絡があり「TBSラジオ日曜の生“日曜サンデー”が900回になります。スペシャルゲストで出て頂けませんか」。ラジオ界では珍しい話だ。昔からTBSと我がニッポン放送は仲が悪く、そこへ文化放送が首をつっこむから訳分からない。各局のメインパーソナリティは他局には出さないという悪しきしばりがあったのだ。
それを解いたのは私で30年位前、TBSの看板・永六輔を私のいるニッポン放送にひっぱり出したかった。さまざま根まわしがあり、私のスタジオへ永六輔。自分の椅子の足許にカバンを置いて私に「高田クンが何かいやなことを言ったらすぐに帰ります」。そしてQでいきなり「お○○こ」を叫んだ。「何ですか?」「動じませんネ」「先月談志が来て叫んでましたから」。アハハいろいろ想い出す。
私は「出禁男でTBSは50年ぶり」と言ってバカ言って帰って来た。後日爆笑は自分の深夜放送で「あの明るさは何だろうネ。芸能史調べても77歳であれだけ笑っちゃう人いないよ。歴史をひもといたら古くにはいた、花咲か爺さん」あの人以来だと。“夢の太田クンと私”のトークを10月8日金沢歌劇座で楽しみませんか。「オール日芸寄席」(遠征編)。志らく、白鳥、一之輔、テツ&トモ。前売中。
※週刊ポスト2025年9月12日号