松田聖子のモノマネ第一人者・Seiko
今年4月にデビュー45周年を迎えた松田聖子(63)。彼女に魅了されたものまねタレントは数多く存在し、テレビで本人との共演も果たした「松田聖子ものまね」筆頭の1人だったのが、ものまねタレント・Seiko(56)だ。
そんな彼女は今、ステージ4の大腸がんで「余命3か月」を宣告されている。そんななか、どうしても世間に知らせたい人生の“心残り”があるという。それは、売れっ子時代に直面した芸能界のリアルと、自身の「中絶」の経験だった——。【前後編の後編。前編から読む】
「ずっと心に止めておく気持ちでしたが、余命3か月と伝えられ、人生を振り返った時に、どうしても心残りなことがあって、打ち明けたかったのです。私がいた業界で昔こんなことがあったんだということを、皆さんに伝えたかった。
1997年、私が29歳の時に、一般男性とのあいだに子供を授かったんですが、多忙のために胎児を中絶することになってしまったんです」
Seikoは27歳のときにものまねタレントとしてデビューし、芸能事務所に所属していた。直後から、年に100本以上の仕事が入るほどになっていたと語る。
「当時事務所からは相当な期待をかけてもらって、たくさん仕事をもらっていた。多忙のなか、当時の恋人とのあいだに子供を授かったんです。
事務所の社長に相談したところ『今、Seikoにいなくなられたら困る』と言われて、私自身も今がいちばんの頑張り時だという思いもあり、とても悩みました。悩んだ結果、この仕事をしながら子供を育て上げるというイメージがどうしてもわかず、そうした中で中絶したのです」
当時、Seikoの仕事のサポートをしていた知人もこう証言する。
「Seiko自身も当時、望んで子を授かったというよりも、まだ仕事を頑張りたいというスタンスだった。それで、事務所とも話した上で、中絶を選択したようでした。
堕胎をした産婦人科には、男性マネージャーも同行していたのをはっきりと覚えています。さらに、中絶した翌日には、出血があるなかですでに仕事に出ていて……私も当時、彼女の選択を止められなかったことを後悔しています」
