部屋に2人の外国出身力士
番付発表後、伊勢ヶ濱親方は「みんなで同じ方向を向いて頑張っていこうという意味」だと説明し、伯乃富士に改名した伯桜鵬は師匠からの提案としながらも「最終的には自分で決めた」と報道陣に説明している。
伊勢ヶ濱一門の関係者によれば「改名は九州場所前から話し合われていた」という。
「師匠の元・照ノ富士の側から“一致団結”ということで、四股名に『富士』をつけることを提案されたそうだ。その時に“四股名はいつでも戻すことができる。ひとつ屋根の下で切磋琢磨している間はみんなで団結したい”という趣旨で、宮城野部屋再興が前提での改名だったとも聞く」
ただ、協会関係者の多くはそう見ていない。別の若手親方は「伊勢ヶ濱部屋伝統の『富士』を四股名に入れたことで、預かりとなっている旧宮城野部屋の力士がこのまま伊勢ヶ濱部屋に転籍するのではないかと見られている。先々代の宮城野親方(元前頭・竹葉山)も自分がスカウトした美や大ノ蔵といった力士も連絡がないまま、美富士、蔵ノ富士に改名したことで驚いているようだ」と話す。
そんななかで注目されているのは旧宮城野部屋のモンゴル出身力士である聖白鵬が寿之富士に改名したことだった。先代の宮城野親方である白鵬翔氏が期待して自分の四股名を与えた逸材だった。相撲ジャーナリストが言う。
「伊勢ヶ濱部屋では九州場所で“史上最強の研修生”と呼ばれたモンゴル出身のオチルサイハンが『旭富士』の四股名で初土俵を踏んでいる。部屋に照ノ富士がいるなかでは、1部屋に外国出身力士は1人の申し合わせがあるため4年半にわたり部屋での研修を続けていたが、照ノ富士が引退したことでデビューできた。
2024年3月以降、部屋には照ノ富士と旧宮城野部屋の聖白鵬という2人のモンゴル出身力士がいたが、聖白鵬は旧宮城野部屋からの“預かり”という判断がされていたかたちでした。聖白鵬が所属する状態のまま旭富士がデビューしたので、“宮城野部屋の再興は既定路線”という話が出ていた。ところが、今回は聖白鵬まで『寿之富士』に改名してしまったので、むしろ旧宮城野部屋の再興はなくなり、“預かり”の扱いは2人目の外国出身力士を入門させるための抜け道に使われたのではないかという話も出ている」