ドラフト1位の大谷に次いでドラフト2位で入団した森本龍弥さん(時事通信)
いまや「世界一の野球選手」となったドジャース・大谷翔平(31)。2012年のドラフト1位で日本ハムに指名されたのがキャリアの始まりだったが、その「次」、ドラフト2位で指名されたのが内野手の森本龍弥さん(31・2019年に現役引退)だった。
「大谷に次ぐ男」として期待されつつ、そのギャップにも苦しみ7年間で現役生活を終えた。現在は地元の神戸・尼崎市で資材メーカーの営業職に就いているが、引退直後は「ただのニートでした」と語る通り、“燃え尽き症候群”に苦しんでいた——。【前後編の後編。前編から読む】
実家の両親から「出ていってくれ」
2025年12月6日、森本さんは北九州市民球場で“最後の試合”をプレーしていた。CSチャンネル・スカイAが「現役引退を決断した選手のセレモニーを兼ねた試合」と掲げて主催する「THE LAST GAME 2025」に出場したのだ。
「おかげさまで、一本タイムリーを打てました。久々の硬式で、硬式用のバットが手元になくて。慌てて友人に連絡して取り寄せたんです」
一般にプロ野球選手は引退後、所属球団で働いたり、野球関連の仕事をするケースが多い。一方、2019年に現役を引退した森本さんの選択は違った。「当時は全てのやる気がなくなってたんです」と明かす。
「身体はボロボロでしたし、もう完全燃焼してしまって……。大袈裟に言うと、生きることに関して何もしたくなくなっちゃったんです。死のうとかはないですけど。だから休みたくて、1年くらいニートでした」
退団後は、すぐに尼崎の実家に帰った。「解放された」という気分の反面、不安が頭から離れなかったという。
