小林ひとみ
「小林ひとみの名前が知られたことで、その後は日活ロマンポルノや今で言うVシネマからも依頼がきたので、役者として断る理由がなかったんです。本編(※注:ピンク映画ではない一般映画の俗称)への憧れはもちろんありましたが、いただけるのであれば、芝居の仕事はしたかった。
人間模様、とくに男女の恋愛のその先に情事があるのは当然の流れだし、女としての心の揺れを体現する意味で濡れ場を演じることを受け入れた、ということです。けど本番までする必要はないから、本番は頑なに拒みました」
元夫は「当時所属していた事務所の社長」
その後、1988年に引退。これは結婚が理由だった。小林さんは「当時、所属していた事務所の社長が元夫です」と笑う。小林ひとみとしてデビュー後、知人からの紹介で元夫を紹介され、小林さんの個人事務所を設立、ビジネスパートナーとして過ごすうちに恋仲になり入籍に至ったのだという。
「結婚後、私が出産と育児で完全に休んでいたのは3年ほどですかね。子供は年子で2人生みました。本当はそのまま家庭に入りたかったけど……元夫が亡くなっちゃった今だから言えるけど、稼いでくれない夫でした。稼いでいたかもしれないけど、家に十分なお金を入れてくれなかった。
それでも、夫はビジネスパートナーとして仕事の紹介はしてくれた。1991年に夫から『ストリップに出てみないか』と言われ、出ることにしたのです」
家にお金を入れないばかりか、あまり家に帰ってこない夫でもあったため、実母に育児を手伝ってもらう日々だった。2児を育てながらのストリップデビューに、実母は反対しなかったのか。
