前にも述べたように、この事件の時点ですでに陸軍の若手将校だった、満洲国建国の立役者板垣征四郎や石原莞爾はどう思っただろう? 差別的表現だが、「支那人は腹黒い」あるいは「張作霖め、やりやがったな」と思ったに違いない。
また、日本の「死傷者の数に比し温厚な」賠償要求は、「だから外交的解決などすべきでは無い」という思いを抱かせただろうし、「もっと真剣に責任者の処罰を要求すれば真相があきらかになったかもしれないのに」とも思わせただろう。あるいは、「いつか張作霖に吠え面かかせてやる」 と決意したかもしれない。忘れてはいけない、板垣や石原にとって殺された日本人のうちのほとんどが陸軍兵士、つまり「陛下の赤子」であり、「身内も同然」なのである。
これも以前にも述べたが、日露戦争のときに児玉源太郎参謀長やのちに陸軍大将から首相になる田中義一少佐は張作霖をスパイとして活用し、ロシア側の情報を集めていた。つまり、張作霖と日本の関係はむしろ友好的なものだった。しかし着々と勢力を拡大した張は袁世凱に取り入って革命勢力を弾圧し、清朝が滅亡すると今度は東三省(奉天省、吉林省、黒竜江省)を自分の「王国」とすべく独自の活動を展開した。この過程で寛城子事件が起こったというわけだ。
では、日本は安徽派、直隷派、奉天派のうち、どの軍閥を重視していたのかと言えば「一地方政権」に過ぎない張作霖の奉天派では無く、首都北京を押さえている安徽派と直隷派のうち、段祺瑞が率いる安徽派であった。安徽派は最大の軍閥であると同時に段祺瑞は正規の軍人上がりであり、穏やかな性格で日本との関係強化を望んでいた。そこで当時の寺内正毅内閣は段祺瑞「政権」の全面的バックアップを決断し、膨大な資金を注ぎ込むことにした。
ところが、これが大失敗に終わり、文字どおり「カネをドブに捨てる」結果に終わった。
なぜ、そんなことになってしまったのか? 〈以下次号〉
(第1477回に続く)
【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『真・日本の歴史』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。
※週刊ポスト2026年1月2・9日号