昭和60年、園遊会で声を掛けられ涙する女優・高峰三枝子(写真/共同通信社)
令和にまで受け継がれるもの
皇室の近代化のためにも熱心に勉強していたようだ。『実録』には東京帝大教授で法学者の穂積重遠や漢文の加藤虎之亮、元女子学習院の野口幽香らから御進講を受けたことが記されている。
中でも東京女子師範学校(現・お茶の水女子大学)教授で教育学者の倉橋惣三から児童心理に関する御進講を頻繁に受けたことがわかる。子供たちの育て方・接し方に興味があり、また悩んでいたであろうことが窺える。
昭和天皇は植物や海の微生物を研究した生物学者として知られるが、実は香淳皇后も生物学に造詣が深かった。
戦前、葉山御用邸近くの海で採取した海藻が新種と判明。戦後、昭和天皇が那須の御用邸周辺で採取した植物標本を研究した成果をまとめた学術書を出した際には、香淳皇后が発見した品種が「5から10」掲載されたと天皇が語ったことが、『香淳皇后実録』には記されている。
結婚前の少女時代から自宅で鶏や鳩、文鳥の世話をしたり、庭に桑を植えて養蚕をしたりしていたことなどが当時の東京朝日新聞に書かれてもいる。
そうした生物への眼差しは、長男である上皇さまや秋篠宮さま、悠仁さまへと受け継がれたと言えるのではないか。
戦前・戦中は自身の言葉を公に語ることがほとんどなかった皇后だが、戦後は日本赤十字社で「全国にわたる戦災と終戦後の社会の急激な変化で、いまわが国民は非常に苦しみのうちにあり(中略)日々心を痛めております」(1946年)と挨拶するなど、自身の思いを込めることもあった。
※週刊ポスト2026年1月16・23日号
