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「船越別宅周りを徘徊」松居一代が動画で激怒の記事全文公開
「船越別宅周りを徘徊」松居一代が動画で激怒の記事全文公開
 YouTubeに衝撃の独白動画を公開した松居一代。「船越英一郎 裏の顔」という動画では『女性セブン』に掲載された自らに関する記事に対し、強い怒りを訴えている。『女性セブン』2016年2月11日号に掲載された『松居一代 帰らぬ夫船越英一郎の別宅周りを徘徊の日々』という記事に対しては、「徘徊なんかしてません。この写真は私がスーパーマーケットから出てきた写真です」と主張。さらには、「この(記事が掲載される雑誌の)発売も、船越が以前から全部ノートに書いていたんです」と、話している。 その記事とはどんな内容なのか。ここで全文を掲載する。以下、女性セブン2016年2月11日号より(年齢などは当時のもの)。 * * *「妻の束縛」とGoogleで検索すると、55万7000件がヒットする。「束縛が強すぎて離婚したい」「家に帰りたくない」「愛が痛い」…。そこには男たちの悲鳴が溢れている。松居の“15年束縛愛”に耐え続けた船越が離婚を決意して3か月。離れゆく夫の背中を、松居は今も追い求めている。 *「40年に1度」といわれる大寒波が日本列島を襲った1月23日の夜8時。都心の高級和食店に松居一代(58才)の姿があった。 真剣な表情でなにやら相談している相手は、松居の知人女性。金目鯛や漬物に箸を運びながら、周囲を気遣うように小声で話し合っている。 賑やかな店内で、2人の空気だけが重い。 退店後、女性を送った松居は、明かりの消えた自宅にひとり帰宅した。 *「皆さんに見ていただきたいものがあるんです」 1月初旬、本誌による船越英一郎(55才)と松居の離婚報道を受けて、自宅に殺到したマスコミを近くの神社に連れて行った松居。 昨年末に船越と奉納したという夫婦連名の鈴緒(本殿の鈴を鳴らすための布綱)を見せながら、夫婦円満をアピールした。「いちばん大きな鈴緒を3本。ね、これを見ていただけたら一目瞭然でしょう」 微笑みを絶やさずにそう話す松居だが、当の神社関係者は彼女の証言に困惑を隠さない。「おふたりが鈴緒の注文に来たのは、昨年10月初旬のことです。年末の12月26日に奉納したのは事実ですが、そのときに立ち会ったのは松居さんだけでした。船越さんは時間をずらして、おひとりで鈴緒を見に来られました。ご夫婦一緒ではなかったです。 というか、鈴緒の注文以降、ご夫婦で来たことは一度もありません。以前はよく早朝に手を繋いで参拝されていたのですけどね…」 本誌既報の通り、船越と松居の仲を修復不可能にした決定打は、昨年10月7日に行われた松居の新刊出版記念会見だった。 船越は松居の過剰な束縛ぶりに長年悩み、昨年春には長男Aくん(27才)が独立したこともあって、“鎹”なき家庭での夫婦生活に疑問を抱き始めていた。 そんな中、松居は同会見で船越と川島なお美さん(享年54)の過去の交際を暴露。船越は激怒し、以降、彼は自宅に帰らなくなった。 船越が松居に離婚の意思を告げたのは、この会見の直後のことである。「これから12~13年はお使いいただける鈴緒です。私たちが元気でお仕事させていただいて、“ふたりでまた同じように奉納できたら幸せだね”と話していたんです」 新年の寒空の下、松居は報道陣にこう釈明していたが、皮肉なことに、夫婦の幸せを祈願した鈴緒を注文してまもなく、夫が去って行ったことになる。 松居を知る関係者には、ワイドショーに映る彼女の姿が痛ましく見えたという。「鈴緒を選んでいたときは、まさか直後に離婚話が出るなんて想像もしていなかったんでしょう。きっかけは松居さんの会見にあったとはいえ、いまだ現実が受け入れられていないというか…。彼女が夫婦円満を語るのも、“まだ大丈夫”と無理矢理自分に言い聞かせているように見えました」(芸能関係者) 550年の歴史を持つ霊験あらたかな神社の本殿では、今日も松居・船越連名の鈴緒が揺れている。◆帰路の途中、必ず別宅マンションへ 船越は昨年末、親しい関係者にのみ離婚を打ち明け、ひとりハワイに旅立った。帰国は1月8日の午後4時半。──船越さんは帰国後、松居さんの自宅に戻りましたか? 先の会見で報道陣にそう問われた松居は、満面の笑みで答えた。「もちろんです!」 しかし、この発言も偽りだった。本誌は帰国後の船越の動きを追っている。 彼は成田到着後、松居の待つ自宅には帰らず、都内の会員制ホテルか、2011年に自分名義で購入した別宅マンションで過ごしていた。「ドラマのロケ撮影も始まり、東京から離れることも多くなりましたが、帰京後も松居さんのいる自宅には頑なに帰ろうとしないそうです。年末年始どころか、この3か月間、松居さんとは一度も会っていないといいます。 川島さん夫妻に迷惑をかけてしまったことをきっかけに今までの不満が噴出した。今回ばかりは離婚の意思が揺らがないのです。離婚の報道が出て、かえってふんぎりがついたと話しているそうです。 川島さんの件については松居さんも反省していて、船越さんに謝罪の手紙も書いたそうですが、難しい状況でしょう」(前出・芸能関係者) 松居はもう一度やり直したいと願うが、船越は顔を合わせることさえしない。平行線を辿る夫婦関係に、松居の心身は疲弊していた。 冒頭の夜、松居は自宅に帰る前に、不思議な動きをした。 真っ直ぐ帰路には着かず、船越の別宅マンション前を通り、駐車場やマンション建物をじっと眺めてから、自宅に帰ったのだ。 別の夜も同じだった。近くのスーパーで買い物を終えた松居は、またも帰路の途中で別宅に寄った。車を徐行させ、前を通り過ぎると、一気にアクセルを踏み込んで自宅に向かった。 帰路だけでなく、別宅前を通ってから外食に出かける日もあった。 松居は船越の別宅周辺の“徘徊”を繰り返していた。「船越さんとはほとんど連絡もとれないままです。家の電気が灯っているのか、車はあるのか、彼の行動が気になって仕方ないんでしょう。 ちょっとしたことから大きな夫婦げんかに発展するのはいつものことでした。船越さんは尻に敷かれるタイプですから、なんだかんだで必ず仲直りをしてきたんです。 でも、今回は違う。これほどまでに夫婦仲が悪化したのは初めて。“どうしてこうなってしまったのか”って悩んでしまってね…。最近はあまり眠れないようで、だいぶ痩せました」(松居を知る芸能関係者) ロケ先でスケジュールをFAXさせる、過去に交際報道の出た女優との共演は禁止させる、浮気を疑うあまり携帯を折る…。 松居の“恐妻エピソード”は枚挙にいとまがないが、彼女にとってはすべて“愛するがゆえ”のことだった。一体どこで間違えたのか──。 松居はもがいている。(女性セブン2016年2月11日号より)
2017.07.08 07:00
NEWSポストセブン
松居一代が船越ノートで見たという女性セブン記事全文公開
松居一代が船越ノートで見たという女性セブン記事全文公開
 不可解なブログを更新しYouTubeに衝撃の独白動画を公開した松居一代。「船越英一郎 裏の顔」という動画では、“船越英一郎のノート”の存在を明かし、『女性セブン』に掲載された松居と船越に関する記事について、「この記事が出ることが船越のノートに書いてあったんです」と話している。つまり、松居は、船越が『女性セブン』に掲載された記事の内容を事前に知っていた──と主張しているのだ。 その主張の真偽は別として、初めて夫婦の離婚危機が報じられたのは、『女性セブン』2016年1月28日号に掲載された『船越英一郎 松居一代を離婚! 「耐えて忍んだ15年」全記録』という記事。松居が「彼が犠牲者のような顔をして別れるためには、嘘をつく必要があったんだと思います」と話す、その記事とはどんな内容だったのか。その全文を掲載する。以下、女性セブン2016年1月28日号より(年齢などは当時のもの)。 * * *《妻はニコニコ 家事ガンガン 夫は忍耐で崖っぷち 温かくて!過激で!超おもしろい!船越家の日常》。松居一代のブログのトップページには、こんな文言が躍っている。"恐妻家"というイメージを松居自身が時に利用し、世間もまた笑いのネタとして受け入れてきた。なんだかんだでおしどり夫婦でしょ──そんな目で見てきた。しかし…。「崖っぷち」に立ち続けた夫・船越英一郎にとって、いつしか松居との生活は「温かくておもしろい」ものではなくなっていた。彼がひとつの決断を下すまでの、苦労と苦悩の物語。 * 黒のジャケットにジーンズ、日焼けした肌がまぶしい1人の男が、2つのキャリーバッグをカートに乗せて悠々と成田空港ロビーを歩いている。 すれ違う人が全員振り返り、口々に囁きあう。「ヤバいね! めっちゃカッコいいんだけど!」 何気ない一コマでさえ絵になるこの男性は、船越英一郎(55才)。1月8日午後4時半、年末の28日より滞在していたハワイ・ホノルルから成田に帰国した。 変装もせず、出迎えたマネジャーと落ち合うと、車に乗り込む。年末年始を留守にしていた自宅に戻るのかと思いきや、船越の向かった先は東京・お台場にある会員制の超高級ホテルだった。 彼はこの日、会員権だけで4000万円超という同ホテルに宿泊した。《主人がハワイから帰ってくるんですよ。(中略)家族が遠くにいるのは…やはり心配ですね。特に大黒柱がいないと寂しいものです。私はこう見えても寂しがり屋なんです》 前日の7日、妻の松居一代(58才)はブログでこう綴っていた。 一日千秋の思いで夫の帰国を待っていた松居だが、船越が妻の元へ顔を見せることはなかった。 翌9日昼過ぎ、ホテルから出てきた船越が帰った先は、松居の待つ自宅ではなく、その近くにある別宅マンションだった。「2011年4月に船越さんが自分名義で購入したマンションです。松居さんは“単なる衣装部屋だ”とメディアに説明してきましたが、実際には、家族と離れてひとりの時間を作りたいという船越さんの意向によって買われたものです」(船越の知人) 現在も船越はこのマンションで過ごしており、年末から2週間以上、夫婦は一度も顔を合わせていない。 船越のひとつの“決意”がここに表れていた。「松居さんとの離婚を決めたのです。“別れることにしました”と、親しい人にはすでに報告しています。船越さんの意志は固い。この3か月間、松居さんとは一切会っていないそうですから。早ければ2月中にも離婚の決着をつけたいそうです」(船越を知る芸能関係者) 2001年の結婚から15年。還暦を控えて夫婦の絆はプツリと切れた。 船越が松居に“三行半”を突きつけた理由──。 ひと言でいうならば、彼は疲れきっていた。◆死ぬまで断絶し続けた松居と義父「みなさま、もうお気づきのことと思います。口に出すのをはばかられるので黙っていらっしゃるのでしょうけど、だからこそちゃんと私がいいます。今日、船越の両親は来ていません」 2001年10月31日、今はなき『赤坂プリンスホテル』で行われた船越と松居の挙式披露宴は、新郎の所属事務所であるホリプロ・堀威夫会長のこんな挨拶で始まった。 門出から山あり谷ありの夫婦だった。 1987年にDCブランド創業者と結婚、1990年に長男をもうけた松居だが、夫の度重なる浮気と借金問題に悩み、1996年に離婚していた。 船越よりも3才年上で、連れ子を持つ松居との結婚に、船越の両親は猛反対した。 神奈川県湯河原で旅館を運営し、息子に後を継がせようとしていた父・船越英二さん(享年84)には、バツイチ子持ちという松居の経歴は受け入れがたいものだった。「披露宴を欠席しただけではありません。英二さんは2007年に亡くなるまで、松居さんとは生涯一度も会っていない。 大正生まれの英二さんにとって、夫婦の形は“夫唱婦随”が当たり前。結婚後にテレビで夫の恐妻ぶりをおもしろおかしく話す松居さんの存在は、最期まで許せなかったのです」(船越家の知人) 実家で暮らしていた船越の妹、洋子さんは、新聞のテレビ欄を毎日見て、松居の出演する番組が父の目に触れないよう気を使ったほどだった。 断絶したまま父は逝ったが、救いもあった。父の死をきっかけに、母と松居の関係が修復に向かったのだ。「洋子さんの尽力によるものでした。“母には同じ思いをさせたくない”と、父の葬儀で松居さんと母の初対面を実現させたのです。以後、食事の席をもうけたり、嫁姑の仲を繋ぐことに腐心してきました」(前出・船越家の知人) いつしか松居は船越の母とディズニーランドに行くまでになった。 だが2010年3月、洋子さんは重度のうつ病で自殺した(享年47)。葬儀の場で、遺影を抱えて号泣する船越と松居の姿が参列者の涙を誘った。 家族との断絶と修復、身内の悲劇、それら全てを乗り越えて、船越と松居の絆は一層深まっていくように見えた。 ベストカップル賞やベストファミリー賞を次々に受賞し、「恐妻の松居と尻に敷かれる船越」というおしどり夫婦像が世間にも浸透していった。 若い女優からのメールに嫉妬した松居が、「船越の携帯を鍋で煮た」という事件を本誌(2003年11月)が報じたのを皮切りに、「小遣い3万円」「電話は朝昼晩晩晩の1日5回」など、彼女の恐妻エピソードがたびたびメディアを賑わせてきた。 2013年4月には、あるバラエティー番組で、「浮気を疑うあまり、今年だけで船越の携帯を3回折っている」と明かし、スタジオを騒然とさせた。 松居のぶっちゃけるそれは、笑い話として世間に消費されていった。 だがひとり、船越は笑っていなかった。◆「もう疲れちゃったよ…」 松居の嫉妬心と、公私にわたる夫の“管理”は並ではなかった。「船越さんはなんといっても『2時間ドラマの帝王』ですから、地方ロケも多い。ある時、滞在先のホテルからスケジュールを自宅にFAXしている姿を見たことがあります。そうしないと松居さんに怒られるんだとか…。居場所を証明しなければいけないらしく、写真メールで現地の写真を撮って送っていることもありました。 船越さんは優しくて面倒見がいいかたなので、ロケ先で共演者とご飯に行ったり、演技の相談があれば気軽に乗ってあげる。彼を慕っている女優も確かに多い。でも松居さんからすると、夫と仲のいい女優はみんな敵。メールや着信など、些細なことを即座に浮気と結びつけて激昂するんだそうです」(テレビ関係者) 過去に船越と熱愛が報じられた女優に関して、共演をNGにするよう事務所に通達したと報じられたこともある。「越権行為はそれだけではありません。夫のインタビュー記事も自らチェックしようとするのです。船越さんの事務所の了承を得ているのに、松居さんが気に入らないからと、掲載をやめるよう出版社にクレームを入れたこともあります。あの時は船越さんも参ってしまって…」(出版関係者) 船越の影のマネジャー、いや、それ以上の存在として松居は君臨し続けた。「船越さんの出演するドラマのスタッフには礼状を欠かしませんし、関心するほどマメな面もあります。梨園の妻でもそこまでやらないだろってくらいにね。良くも悪くも完璧主義者なんです」(前出・テレビ関係者) マツイ棒から洗剤、圧力鍋など、今や計16の主婦向け商品をプロデュースするカリスマ実業家の松居は、仕事場でもその片鱗を見せていた。 たとえば通販番組で彼女のプロデュース商品を取り扱う際のこと。「写真の角度、宣伝文句、使い方まで松居さんからの指示が異常に細かくて…。テレビ的に映える写し方があるんですが、全て松居さんの希望に沿わないとNGなんです」(別のテレビ関係者) 画面に映し出される松居の笑顔の裏で、スタッフはミスしないよう戦々恐々としてきたという。 結婚以来、公私の全てで常に100%の理想を求める松居の姿勢が、船越を徐々に追い詰めていった。 象徴的な出来事が、2007年に本誌が報じた松居の家政婦トラブルだった。 三度の飯よりお掃除が大好きな彼女だが、自宅の掃除は4~5人雇った家政婦に大半を任せており、ミスも許さなかった。 指示したことがなされていないと、「あなたは脳味噌があるの!?」と怒鳴りちらし、モノを投げることもあったという。 当時、フィリピン人家政婦が交番に駆け込んだことで騒動が明るみに出た。「その後も、松居さんの厳しさに耐えられず続々と家政婦がやめていき、ドラマ撮影で多忙な船越さんが朝のゴミ出しや玄関前の掃除をやっていた時期もあります。“まいっちゃうよなぁ”と言いながらも、船越さんはせっせとこなしていました。早朝の家事とハードな俳優仕事の両立は相当ストレスがたまったはずです」(前出・船越家の知人) この頃から、船越の夜の外出が増えていった。行きつけの店で深夜ひとり酒を飲み、店主を相手に悩みを打ち明ける船越の姿を本誌は何度も見てきた。 彼の口から出るのは、ほとんど松居の愚痴だった。「家は息苦しくってさ」「嫁が寝てからがおれの時間なんだよ」「もう疲れちゃったよ…」 松居にがんじがらめにされてきた船越が、2011年に冒頭の別宅マンションを購入したのは自然な流れだった。「なにしろ自宅には船越さんのプライベートルームすらありませんから。いえ、新築時の設計当初はあったんですが、完成時に松居さんがその部屋の鍵を外しちゃったんです(苦笑い)。心の平穏は家の外に求めるしかなかったんでしょう」(前出・芸能関係者) 夫婦げんかがあればその都度別宅に逃げ、つかの間の安息を得ていた船越。「これもまたふたりならではの距離感。離婚の選択肢はないだろう」 周囲はみなそう見ていた。しかし、夫婦関係は大きく変わっていった。◆「別れたくない」という手紙を書いた松居 門前仲町の深川不動堂を松居と船越が訪れたのは、昨年4月2日のことだった。満開の桜が咲き誇る境内で、夫婦はじっと手を合わせていた。 前日、夫婦にとって記念すべき門出があった。松居の連れ子で長男のAくん(26才)が社会人になったのだ。《スーツに身を包んで出かける息子を船越と二人で見送りました。後ろ姿を眺めていると胸がいっぱいになり、涙が止まりませんでした》 松居が万感の想いをブログで綴った理由は、Aくんの苦難の半生にあった。 生後間もなくアトピーを発症し、後に発疹が全身を覆った。あらゆる治療を試すも症状は悪化の一途を辿り、一時、松居は母子心中さえ考えた。 前夫との離婚問題で家庭環境は最悪。幼くして心身に深い傷を負ったAくんを支えたのが、再婚後の船越だった。「Aくんは最初、船越さんを“おじさん”と呼んでいた。でも、船越さんは実の父親以上の愛情を持って接しました。一緒に銭湯に行って背中を流しあい、学校生活の相談に乗り、2人だけでグアム旅行に行くこともあった。Aくんが“お父さん”と呼ぶまでに、時間はかかりませんでした」(前出・船越家の知人) Aくんが大学受験に失敗し、仮面浪人を選んだときも、船越は全力で応援した。就職相談に最も親身になったのも船越だった。「多忙な仕事の合間にいろんな企業を調べて、ここがいいんじゃないか、あそこはどうだって。良き父親そのものでした」(前出・船越家の知人) 本誌は昨年1月、船越がいきつけ店で、長男とふたりで就職祝いをするシーンを目撃した。ひとり立ちする息子が誇らしかったのだろう。「よくやったなぁ。おれも本当に嬉しいよ…」 そう言って満足そうにグラスを傾けていた。 Aくんの独立は、船越にとってひとつの節目となった。「子は鎹といいますが、船越さんの家もそれは同じ。Aくんがいたからこそ、夫婦でいる意味があったのです。 船越さんはふと立ち止まり、考えたそうです。このまま夫婦生活を続ける意味はあるのだろうか、と」(前出・芸能関係者) 離婚という言葉が初めて現実味を帯びた瞬間だった。 以後、悩む船越を決別に向けて後押しする出来事が立て続けに起きた。 同年10月1日、松居は乳がんの手術をしたばかりの北斗晶(48才)を見舞ったことをブログで明かし、「年間億単位の収入」と豪語する自身の株投資術を指南したこと、発売直後の投資術に関する自著をプレゼントしたことを綴った。「ブログにはAmazonの新刊へのリンクが張ってありました。病気の北斗さんを利用したPRだと、方々から大ヒンシュクを買いました」(スポーツ紙記者) 世間の声などどこ吹く風。松居は翌週の7日、「緊急会見」と題して開かれた前述の新刊の出版記念会見で、前代未聞の騒動を起こす。 川島なお美さん(享年54)が胆管がんで亡くなって2週間というこの日、記者から、船越と川島がかつて交際していたという噂について質問された。会場がざわつく中、松居は饒舌に話し始めた。「結婚して3年目の時、川島さんと船越が人生のひとときを歩んでいたことを知りました。主人には“お見舞いに行った方がいいのでは?”と言いましたが、時間がないまま天国へ召されてしまいました。 川島さんの訃報を聞いた夜は、彼女の好きな赤ワインで献杯しました。主人は“川島さんは一度も人の悪口を言わない素敵な人だった”と言っておりました」 夫の元カノについて平然と暴露する松居に報道陣は引いた。しかし、彼女は空気を読まない。「続けて、北斗さんのお見舞いと投資術指南のエピソードを改めて披露しました」(前出・スポーツ紙記者) 会見後、ネット上は松居へのバッシングで溢れかえった。《人の死さえ商品PRに利用するのか》《あまりの無神経さに言葉を失います》 松居の会見に最も衝撃を受けたのは船越だった。「自分と川島さんの過去が妻から暴露されるなんて思ってもいなかったのでしょう。“なぜこんな話を…”って、怒りよりも失望感が勝っている様子でした。この会見以後、船越さんは自宅に帰らなくなったのです」(前出・芸能関係者) 度をすぎた松居の嫉妬心と束縛に、船越は15年間、すんでの所で耐え忍んできた。 だが、息子の独立と松居の暴露話を前に、船越の張り詰めた心の糸はプツリと切れた。「離婚しよう」 ほどなくして、船越は松居にそう告げたという。「松居さんはショックのあまり取り乱したそうです。会見での暴露話については反省していて、別れたくないという手紙も書いたといいます。でも、船越さんの決意は少しも揺るがなかった。“もう会わない”と言って、別宅かホテルに泊まる生活を続けていました」(前出・芸能関係者) 船越は親しい関係者にのみ離婚を打ち明け、冒頭の通り、年末ひとりハワイに旅立った。◆〈人生のひとつの区切りとして〉 夫に離婚を突きつけられ、日本にひとり残された松居はどうしたか。 年の瀬、長野県のある宿泊施設に松居の姿があった。彼女はここで、「内観法」と呼ばれる心理療法を受けていた。「1週間テレビもパソコンもケータイもない生活の中で、朝6時半から夜9時までひたすら自分の過去を見つめ直す作業に没頭するのです。定員15人の合宿形式の治療なのですが、参加者の中に松居さんを見つけた時は驚きました。『内観法』を受けに来るのは、人間関係や夫婦仲に悩むかたが多いのです。松居さんもまた、非常に思い詰めた顔をされていたのが印象的でした」(松居に居合わせた参加者) 内観は参加者それぞれが個室で行う。両親や配偶者、子供など、人生で深く関与した人々に対して、【1】してもらったこと【2】してあげたこと【3】迷惑をかけたこと この3つを3年ごとに区切って思い出していく。 2時間ごとにセラピストと面談し、過去を見つめ直してわかったことを話し合う。「食事は参加者みんなが揃って大部屋で食べるのですが、面談時間以外の私語は厳禁なので、松居さんも黙々とひとりで食べていました。 無農薬の有機野菜と酵素玄米という体に良いメニューで、彼女は、毎回しっかりと完食していました」(前出・参加者) 1週間の合宿を終えた松居は、セラピストに何度も頭を下げ、施設を後にしたという。 帰京後の1月6日、松居はブログを更新した。《お仕事もお休みでしたので実にのんびりといたしました。その静かな時間のなかで自分を見つめることもできました。やはり、人生のひとつの区切りとしてお正月はよろしいですね》 松居が過去と自分を見つめ直し、もがきながら見つけた真実も、船越にはもう届かなかった。(女性セブン2016年1月28日号より)
2017.07.07 16:00
NEWSポストセブン
松居一代の「離婚会見」FAXと仏壇放置に船越英一郎呆然
松居一代の「離婚会見」FAXと仏壇放置に船越英一郎呆然
 次々と更新するブログや、YouTubeへの動画投稿をきっかけに注目を集めている松居一代(60才)。夫・船越英一郎(56才)は、すでに離婚調停を申し立てている。6月7日、約1か月半ぶりに更新された《本当にごめんなさい 多謝》とのタイトルの記事では、《涙をいっぱい流しながら じっと 耐えていたの》とブログを中断した理由を説明。その先は次のような怒涛の更新が続いた。《船越家の真実をお伝えしましょう》 (6月13日)《夫のサスペンスシリーズ 昨年暮れの撮影が最後ですべて打ち切り!!!!理由はただひとつ 妻の口からは申せません》(同14日)《実は…信じられないようなことが起きてさぁ サスペンスどころじゃないのよ!!!!悲しすぎて人生終わっちゃうかと思ったのよ》(同20日) 27日に更新された《恐怖の告白!!》というタイトルの文章が極めつきだった。《告白するよ 実はもう…1年5ヶ月も尾行され続けているの だから、夜は、まったく電気を使わない生活をしているのよ 真っ暗のなかにいるんです》 この尾行告白の後も、《いつでも、全力で走れる靴スニーカー生活です》《常に、後ろを振り返り運転するときは、バックミラーを確認する生活です》と不穏な発言を続けた。 ファンからは彼女の心身の不調を心配する声も上がったが、松居に近しい芸能関係者は、最近の松居の混乱ぶりの原因をこう明かす。「船越さんとの夫婦関係がいよいよ行き詰まったそうなんですよ。船越さんはついに離婚を決意し、弁護士を立てて離婚調停の準備を進めています。松居さんの言動が変わったのも、夫との関係に心痛なためでしょう」◆繰り返された夫婦円満アピール 本誌・女性セブンは船越と松居の夫婦生活を見守ってきた。この夫婦を読み解く最初のポイントは、松居のブログに何度も登場する「1年5ヶ月前」に何が起きたか──である。 2016年1月、女性セブンは松居との関係に疲れ果てた船越が妻に三行半を突きつけたと報じていた。それまで芸能界きってのおしどり夫婦として知られてきたが、初めての離婚危機報道。その年末年始を船越は単身ハワイ・ホノルルに滞在し、帰国後も松居の待つ自宅には戻らず、自ら購入した別宅マンションで過ごしたと報じた。 その翌月も本誌は、船越の別宅マンション前をわざわざ通り、駐車場やマンションの建物を名残惜しそうにじっと見つめる松居の姿をキャッチしている。その後、今年に入ってからも何度か夫婦関係の状況を報じた。 だが松居は、夫婦の危機を報じるたびに全面否定を繰り返してきた。最初の離婚報道の直後、松居は自宅に殺到した報道陣を近くの神社に連れていき、船越と奉納したという夫婦連名の鈴緒(本殿の鈴を鳴らすための布網)を見せつけて夫婦円満をアピールした。 昨年11月、本誌が松居にインタビューした際も、「夫への愛は16年間まったく変わらない」と語り、京都で撮影する船越のため、朝3時半に起床して2時間半かけてラブメールを打ったと告白した。 さらに、「主人は不倫はしていません」と満面の笑みを浮かべてこう断言した。「もちろん、けんかしたりすることはありますよ。だけど夫は、絶対に私を裏切らないですから」 結婚生活16年目。たしかに夫婦は、羨むようなおしどりぶりを見せたときもあった。2006年、『パートナーオブザイヤー』を受賞した際、船越は妻を「すべての事に全力投球できるパワーとバイタリティー。そして何より家族を守るためならどんな努力も惜しまない。愛情に満ちた姿勢がある」と慈しみ、松居は夫を「人の悪口を決して言わず、どなたに対しても優しい。私と息子を命懸けで守ってくれている」と讃えた。あだが、夫婦の亀裂は広がる一方で、すでに事態は決定的になりつつある──。◆「明後日、離婚会見をする」突然のファクス ふたりの結婚生活は当初から火種を抱えていた。松居は1986年に結婚して長男をもうけるも、夫の浮気と借金問題に苦しみ、1996年に離婚。2001年6月、3才年下の船越と番組での共演をきっかけに再婚したが、船越の両親は猛反対した。「神奈川県の湯河原で旅館を経営していた船越さんの父・英二さんは、跡継ぎとして期待していた船越さんがバツイチで子持ちの松居さんと結婚するのが許せず、披露宴に欠席したほどでした。大正生まれで“夫唱婦随”の価値観が残る英二さんは、結婚後も恐妻ぶりをテレビでおもしろおかしく話す松居さんを受け入れられず、2007年に亡くなるまで一度も息子の嫁に会いませんでした」(船越家の知人) 2010年2月には、船越家と松居の関係を修復しようと尽力していた船越の妹が重度のうつ病で自殺するという悲劇にも見舞われた。 船越は夫婦生活に常にストレスを抱えてきた。若い女優からのメールに嫉妬した松居が「船越の携帯を鍋で煮た」という事件や家政婦のミスに怒った松居が怒鳴り散らすため続々と家政婦が辞めていったり、ドラマ撮影で多忙な船越が朝のゴミ出しや玄関掃除を強いられている姿が報じられたこともあった。「恐妻伝説」が知れわたっても、船越は妻をかばい続けてきた。溜まる一方だった船越のストレスがついに爆発したのは2015年10月のことだった。 その時、松居は乳がんで右乳房全摘手術を受けたばかりの北斗晶(49才)を見舞ったことをブログに綴った。「年間億単位の収入」と豪語する自らの投資術を綴った本をプレゼントしたと明かしたことが、「病に苦しむ北斗をPRに利用した」と世間から大ブーイングを浴びた。 さらにこの自著の出版記念会見で、松居は前代未聞の暴露を行って周囲を驚かせる。会見の2週間前に胆管がんで亡くなった川島なお美さん(享年54)について、こう発言したのだ。「結婚して3年目の時、川島さんと船越が人生のひとときを歩んでいたことを知りました。主人には『お見舞いに行った方がいいのでは?』と言いましたが時間がないまま天国へ召されてしまいました」 川島さんには最期まで寄り添った夫がいる。なぜ今さら故人のプライバシーをさらしたのか──船越は激怒したという。船越の知人の話だ。「船越さんは『人の不幸に乗じて、なんという不謹慎な発言をするのか』『二度とメディアで発言してはいけない』と怒った。その上で、妻の非礼を詫びたいと北斗さんと夫の佐々木健介さん、川島さんの夫の鎧塚俊彦さんへの謝罪に出向こうとしていました。 ところが松居さんはその後もメディアの取材を受けていた。さすがの船越さんも激高し責め立てた。そうしたら、松居さんは『離婚してやる!』と逆ギレしたそうなんです」 そして松居は、船越が所属する芸能事務所に「明後日、〇〇ホテルの△階で離婚会見を開きます」という旨のファクスを突然送ったという。船越夫婦に近い芸能関係者が言う。「船越さんにとっては寝耳に水の話。松居さんの気性ですから、会見を本当にやるかは五分五分でした。それでも船越さんは“もしかしたら、本当にやるかも”と万が一のことを想定して自らクライアントへの謝罪行脚に追われていました。結果的には会見は開かれず、一体あのファクスは何だったのか…。船越さんは自分だけでなく、事務所や周囲の人たちに迷惑をかけてしまったことに本気で落ち込んでいました」 話には続きがある。松居がファクスを送った直後、船越の別宅マンション前に不審な紙袋が放置されたのだ。「紙袋のなかには船越家先祖の仏壇や位牌が無造作に放り込まれていたそうです。船越さんの呆然とした表情は忘れられないですね」(前出・夫婦に近い芸能関係者)※女性セブン2017年7月20日号
2017.07.06 16:00
女性セブン
自殺未遂騒動で決意か 船越英一郎が松居一代に離婚調停
自殺未遂騒動で決意か 船越英一郎が松居一代に離婚調停
「1年5ヶ月も尾行され続けているの」などとブログを更新したかと思えば、「松居一代、週刊文春にだまされた」「船越英一郎 裏の顔」という告白動画をYouTubeで公開し、その動向から目が離せない松居一代(60才)。最近の松居の混乱ぶりの背景について、松居に近しい芸能関係者は「夫・船越英一郎(56才)との夫婦関係が行き詰まり、船越側が弁護士を立てて離婚調停の準備を進めている」と明かしている。 船越は、夫婦生活につねにストレスを抱えていたというが、ついに爆発したのは2015年10月のこと。 松居は乳がん手術を受けたばかりの北斗晶(49才)を見舞い、自著をプレゼントしたとブログに綴ると、「病に苦しむ北斗をPRに利用した」とバッシングを受けた。さらに、その本の出版記念会見で、その2週間前に亡くなった川島なお美さん(享年54)と船越が過去に交際していたことを明かしたのだ。 なぜ今さら故人のプライバシーをさらしたのか──船越は激怒したという。しかし、松居はその後もメディアの取材を受けており、船越は再度激怒。すると、松居は「離婚してやる!」と逆ギレし、船越が所属する芸能事務所に「明後日、〇〇ホテルの△階で離婚会見を開きます」という旨のファクスを突然送ったというのだ。 実際には離婚会見は開かれなかったが、船越は万が一を想定し、クライアントへ謝罪行脚に出ていたという。 松居のブログに何度も登場する「1年5ヶ月前」には、初めての離婚危機報道があった。2016年1月、本誌・女性セブンは松居との関係に疲れ果てた船越が妻に三行半を突きつけたと報じている。その年末年始を船越は単身ハワイ・ホノルルに滞在し、帰国後も松居の待つ自宅には戻らず、自ら購入した別宅マンションで過ごした。 そして4月19日、夫婦に決定的なことが起こる。その日、船越のもとに松居から弱々しい声で『今から死ぬ』と電話があった。船越と息子宛に遺書も書かれていた。まさかとは思いつつ船越は必死で探し回ったという。しかし、電話をかけたことで溜飲を下げたのか、松居はブログを再更新するなど正常さを取り戻していた。「だけどその直後、また松居さんから再び自殺予告の連絡が入ったそうです。『私は睡眠薬を大量に持っている』と。メッセージを聞いた船越さんは仕事の疲れと松居さんによる心労が重なって倒れてしまいました。当の松居さんは2度の自殺未遂騒動後、何食わぬ顔で自宅に戻りました。またもや信じられない思いをした船越さんは、もうこれ以上は無理だと考え、弁護士を立てた離婚調停に踏み切ったんでしょう」(船越家の知人) それから船越は弁護士に相談し、離婚調停の申立書を作成し始めたという。本誌は船越の代理人弁護士に対し、以下4つの質問を行った。・この1年5ヶ月、船越から松居に連絡を取ることはほとんどなかったか。・2015年10月、松居から船越サイドに「離婚会見を開く」旨のファクスが送られてきたか。・今年4月、松居が2度にわたって遺書をしたため、自殺未遂騒動を起こしているか。・船越サイドは家庭裁判所に離婚調停の申立書を提出しているか。 それらすべての質問に対し、代理人は「事実です」と回答した。その上で、「(松居の2度の自殺未遂騒動は)真意に基づく行動なのかについて、重大な疑義を持っております」と付け加えた。 松居本人に連絡をとったが、インタビューについては一度はOKだったものの、断りが入った。さらに事務所に質問を送ったが、締切までに回答は得られなかった。※女性セブン2017年7月20日号
2017.07.05 13:30
女性セブン
がん患者 治療中断した方が25%長生きするという調査結果も
がん患者 治療中断した方が25%長生きするという調査結果も
 全米で75万部のベストセラーになったノンフィクション『死すべき定め』(アトゥール・ガワンデ著、2014年)では、がんで余命わずかと宣告された女性が妊娠・出産を経て闘病する模様などが描かれている。 その本には興味深い研究結果がいくつかある。自身の余命の中で、最期に叶えたい目標について正直に主治医と話をした末期がんの患者は、話をしなかった患者と比べて人工呼吸器を付けられたり、ICUに入れられる割合が少なく、あまり苦しまず平穏に余生を過ごせたというのだ。 また、最期まで化学療法にこだわった患者より、治療を途中で中止した患者のほうが、25%も長生きするという逆転現象が見られた。そして、前者の遺族が深刻なうつ病に陥ったケースが多いのに比べ、後者の遺族は明らかに平穏に暮らせているという。 余命への向き合い方は、家族のその後にまで大きく影響するということだ。 死の床でも「美学」を貫いたのが松田優作(享年40)だ。親の愛情に飢えて育った松田は自らの家庭を何より大事にしていた。そんな彼だけに、余命宣告を受けてからも、自らの身より家族のことを心配していたという。「末期の膀胱がん発覚後、優作さんは、『心配をかけたくないのでカミさんには言わないでほしい』と医師にきつく伝えました。がんが進行して美由紀夫人に知られた後も、『元気になって龍平の運動会に行こうな』と当時まだ20代だった美由紀さんを励まし続けたことは有名です」(ベテラン芸能記者) 当時、松田には龍平(6才)、翔太(4才)、長女(2才)という3人の子供がいた。幼い子供を残して旅立つことは痛恨の極みだったはずだ。「それでも優作さんは、『息子2人に父親の弱いところは見せられないので絶対病院に連れてくるな』と美由紀さんに言い聞かせました。それで美由紀さんは娘だけ連れて見舞っていました。 危篤状態に陥っても、“カミさんはよけいなことをいうと全部信じるからよけいなこと、こいつに吹き込まないでくれ”と医師に頼み、美由紀さんが泣いていると、“お前、何泣いてんだ、泣くんだったら外へ出て行け”と」(同前) 2014年1月に肝内胆管がんの手術を受けた半年後、再発して「もって1年」と宣告された川島なお美(享年54)は最期まで女優業を全うする一方、夫の鎧塚俊彦さん(51才)に愛情を注ぎ続けた。「川島さんはがんが進行して体調が苦しくなってからも、仕事を終えて深夜に帰宅する鎧塚さんのため、必ず夜食を作って晩酌につきあいました。彼女は普段の生活を続けることを何より大事にしたんです。さらに亡くなる前日まで、多くの友人にメールを送り、鎧塚さんのサプライズ誕生パーティーの準備を進めていました」(川島の知人) 川島の死後、見つかったノートには次の一文があった。《再婚はできればしないでね。一緒のお墓に入りたいから。今までありがとう》 余命宣告を受けた患者の家族ができることについて、訪問看護事業を運営するホスピタリティ・ワン代表の高丸慶さんが指摘する。「余命宣告された患者は体の痛みのほか、心の痛みやお金の問題など社会的な痛みなどを抱えます。こうした医学では取れない痛みは家族の力で対応できる。例えば家族が患者の横にいてそっと触れるだけで、痛みを和らげるホルモン『オキシトシン』が分泌されて患者が安らぐんです」※女性セブン2017年2月16日号
2017.02.04 16:00
女性セブン
船越英一郎「モデル風美女と元日ハワイ」は何を意味するのか
船越英一郎「モデル風美女と元日ハワイ」は何を意味するのか
 元日の正午頃、ハワイ最大のショッピングモール・アラモアナセンターを一組のカップルが歩いていた。 男性は“2時間ドラマの帝王”こと俳優の船越英一郎(56)。その傍らにいるのは、スラッとしたモデル体型の若い女性。女優の吉高由里子似の美女である。2人はその後、フードコートで仲睦まじく食事を楽しみ、一緒にショッピングモールを後にした。“デート中”の船越は、終始笑顔で女性と語らっていた。 笑顔の理由は南国の解放感だけではないのかもしれない。船越といえば、女優の松居一代(59)と2001年に結婚して以来、“おしどり夫婦”として知られてきた。だが、近年は離婚危機が盛んに報じられている。「2011年4月に船越は自宅から徒歩数分のマンションを購入しています。松居は当初、“主人の支度部屋”と主張していましたが、実際は夫婦喧嘩に疲れた船越の“避難場所”で、彼は1か月のうち何日かはここで暮らしていた。 2015年10月、松居が自著の出版記念会見で、船越と故・川島なお美さんが過去に不倫関係にあったことを暴露して以来、事実上の完全別居状態が続いています」(芸能レポーター) 船越が若い美女と今年の正月を一緒に過ごしていたのは、何を意味するのか? 船越の所属事務所はこう回答した。「船越本人に確認しましたが、その女性は現地の友人で、付き人も一緒にいたと言っています。離婚報道が相次いでいますが、私どもは本人からそういう話は一切聞いていません」(ホリプロ宣伝部) 松居は昨年12月31日のブログに〈夫はすでにハワイへ出かけています 用事があってね 家族を代表して出かけているんだわぁ〉と綴っている。 松居は“お掃除名人”として知られるが、夫の船越もハワイで身の回りの整理を始めたのだろうか。※週刊ポスト2017年1月27日号
2017.01.17 07:00
週刊ポスト
スタッフから人気の西川史子、更年期障害ではと心配の声も
スタッフから人気の西川史子、更年期障害ではと心配の声も
 冬でもノースリーブにハイヒール。いつでもパーティーにいけるような攻めの格好でテレビ局の廊下をカツカツ歩く。高飛車キャラで、スタジオではどんな相手にもひるまずギリギリの毒舌で噛みつく、女医・西川史子(45才)の激変ぶりに、スタッフの心配も極限にきていた。 最近は局の廊下を一歩一歩確かめるようにゆっくり歩き、時折その足元すらもふらつきを見せていた。挨拶の声も張りがない。そして激やせ…。「夏頃から急に細くなり、あまりに以前とは違う雰囲気に声もかけづらくなっていました」(テレビ局関係者) 12月1日に急性胃腸炎で入院。『サンデー・ジャポン』(TBS系)の生放送を欠席し、事務所は「この機会に少しの間お仕事をお休みすることにいたしました」とコメントした。「5月にも2週間入院したそうですが、休んだことに強い責任を感じて、次の本番のときには有名店の高級いなり寿司の差し入れを持って、関係者に平身低頭でお詫びして回っていました。“もう休みませんから”と言っていたので無理をしていたのかも。昨年9月に亡くなった川島なお美さんのやせ方とダブらせた人も多かったようで、『がん説』も上がっていました」(前出・テレビ局関係者) その話は本人の耳にも届き、すぐに病院で胃カメラの検査もしたが、異常は見つからなかったという。西川の友人はこう明かす。「体調が悪くなったのは今年に入ってから。どちらかというと健啖家だったのに、食べる量がすっかり減っちゃって。食べると胃が痛くなったり、ムカつきが出るそうなんです。それくらいから情緒不安定な様子も見え隠れするようになりました」 西川は2010年、会社役員の男性と結婚。2013年には夫が家出中であることを生放送中に告白して周囲をアッと言わせ、2014年に離婚している。「離婚後、彼女は都内に億ションを購入しました。悠々自適のシングルライフを送るはずだったのですが、新居はマンションの5階。エレベーターが『5階です』と音声でアナウンスするたびに、『彼のことを“誤解”してたのかな…』と思い悩んで涙が出そうになると話していました」(前出・友人) さらに今年2月、テレビ番組で「最近、物忘れがひどい」「共演者にイライラすることがある」と告白していた。産婦人科医の小山嵩夫氏はこう指摘をする。「年齢や症状から、更年期障害の可能性があります。卵巣機能の低下によって女性ホルモンのバランスが崩れるのは、40代半ばから50代半ば。食欲減退や不眠、ほてりや発汗、イライラややる気が出ないなど、症状は100種類もあるとされています」 急性胃腸炎も更年期障害から派生して起こった可能性があると言うのは、成城松村クリニックの松村圭子院長だ。「ホルモンバランスが乱れると免疫力が低下し、胃腸炎を起こして、結果としてやせ細ってしまうことも考えられます」 海外でも、身長170cmを超えるアンジェリーナ・ジョリー(41才)が体重52kgから34kgまでやせたことが話題になった。アンジーは昨年3月、卵巣と卵管の摘出手術を受けたため、閉経したのと同じような状況になり、更年期障害に起因して摂食障害になったと報じられている。 更年期障害は、加齢によって引き起こされるだけではない。「何事もまじめに取り組むような几帳面な性格が、更年期障害の気質要因になります」(前出・小山医師)と言う。「西川さんはもともと毒舌のSキャラじゃない。普段の印象は、いいとこのお嬢さま。礼儀正しくて、いつも周りを気遣っていて、繊細な人。だから、テレビスタッフの間でも、彼女のファンは結構多いんです」(前出・テレビ局関係者) 40代以上の女性の4人に1人が、更年期障害が疑われる症状で日常生活に支障をきたしたことがあるという。だが、婦人科を訪れて治療を受けているのはごくわずかだ。ひどくなると高血圧や動脈硬化、骨粗しょう症などを引き起こすことも。 最近では、のみ薬やパッチ、注射などで簡単にホルモン療法を受けることもできる。医師の西川にはきちんと治療してカムバックしてもらい、毒舌をきかせながら警鐘を鳴らしてほしいところだ。※女性セブン2016年12月22日号
2016.12.11 16:00
女性セブン
近藤誠医師
がん治療は是か非か 専門医が語る「がん放置療法」の現状
 現代の怪談のひとつに、「がん死が減らない」ことがある。かなり前から「がんは治る病気になった」「手術も抗がん剤も目ざましく進歩」「とにかく早期発見・早期治療を」と、国も医療界も連呼している。しかし、がんで死ぬ人は1981年以来増え続けて、なんと35年以上も「日本人の死因のトップ」に君臨。「治る病気」には、全くなっていないのが現状だ。「早期発見・早期治療」が功を奏していないことも、前立腺がんのPSA検診や、乳がんのマンモグラフィー検診でよくわかる。検診が強く勧められ、「がん」と診断される人が以前の10倍前後に増えているが、がん死は全く減っていないのが現状なのだ。◆あわてて治療して早死にする人、治療しないで長生きする人 著名人が人間ドックでがんが見つかり、治療に突入して、いたましい最期を迎える例が、あいかわらず多い。 タレントの大橋巨泉さんは人間ドックで「胃に疑問な部分がある」と言われて内視鏡検査で早期胃がんと診断され、11年間に手術5回、放射線治療4回、抗がん剤治療を2回。やせ衰えて病院のベッドと車椅子で長期間を過ごし、結局がんに命を奪われた。 亡くなる数か月前のエッセイでは、「老いた体をベッドに横たえ、たまに車椅子で外に出ればすぐに高熱を出す始末」「ボクにはこれ以上の体力も気力もありません」と、精も根も尽き果てた様子だった。 またエネルギッシュに活躍していた元横綱千代の富士(先代の九重親方)は、人間ドックで早期すい臓がんが見つかり、手術をするも1年で亡くなった。同様に歌舞伎役者の第18代勘三郎さんは食道がんの手術から4か月で、女優の川島なお美さんは、肝内胆管がんの手術から1年余りで亡くなっている。 一方、俳優の緒形拳さんを始め有名無名を問わず、がんの治療を拒んでいままで通りに何年も活躍し、亡くなる直前までふつうに暮らした人も数多くいる。◆卵巣がんやスキルス胃がんを放置して何年もふつうに暮らす患者も「がん放置療法」の近藤誠医師と、外科医から在宅緩和ケア医に転じた萬田緑平医師は、ともに大学病院勤務時代、がん治療に苦しみ抜いて亡くなる大勢の患者を見て「がんの治療をしないこと、やめることは、生きるのをあきらめることではない。よりよく長く生きるための、賢い選択だ」という結論に達したという。対談集『世界一ラクながん治療』(小学館)で、確信をもって、こう語りあっている。「萬田さんは、がんになったら治療を受ける?」「いや、全く受ける気ないです。外科医時代は、苦しくて悲しい死ばかり見てきました。いまは患者さんにも、がんを治そうとする治療はいっさいしません。『治療をあきらめるんじゃない。治療をやめて自分らしく生きるんだ』というのが僕のモットーです」「僕も同じ。ここ40年、検査も健康診断も受けてない。なにか見つけると気になるし、それであわてて治療すると、苦しんだり、早死にしやすいから」「僕の母は10年以上前に超早期のすい臓がんと診断された。もちろん、手術はさせませんでした。母はいまも元気に水泳してます」 対談には、25cmの巨大な卵巣がんと腹膜転移を抱えて、腹水を抜くだけで3年以上、ふつうに子育てと仕事をしている40代の女性や、悪性度の高いスキルス胃がんを放置して会社経営を続け、9年目に食が細ってきても海外旅行を楽しみ、初診から10年近く生きて72歳で亡くなった男性など「生気にあふれた末期がん患者」も数多く登場する。「僕の患者さんにも、がんを治療しないで様子をみたら、全身に転移が見つかってからも10年、20年と生きた人、がんが消えた人が大勢います。数万人の患者さんを診て改めて、がん治療を続けるほど苦痛が長引き、命が縮む。がんは治療しない方が長生きする、と実感しています」「いま進行がん、末期がんでもモルヒネなどで苦痛をきちんと抑えてゴルフや旅行を楽しみながら、何年も生きる人はたくさんいますからね」 萬田医師は、がんの治療をやめて家に帰ったがん患者の「明るい旅立ち」によく立ち合うと言い、「(スマホを取り出して近藤医師に)この写真、見てください。なんと亡くなる前日ですよ」。「おじいちゃんがベッドで家族に囲まれて…うれしそうにピースしてるね。(医療崩壊した)夕張市のおばあちゃんが、がんを治療しないで家でふつうに暮らして、90歳で亡くなる前日まで、好物のおまんじゅうを食べていた、というニュースも見ました」「僕が診てきたがん患者さんも、亡くなる日まで家族とおしゃべりしてコトッと逝ったという人が、けっこういます。本人の望み通りに家で過ごしていると、容態が急変ということはなくて、スーッと亡くなります」◆日本人の死に方の転換期。この10年「老衰死」が急増  戦後、ずっと減り続けていた「老衰死」の数が、高齢者人口の増加とともに10年前から増え始め、2015年には戦後最高の7万5340人に達した(厚労省『人口動態調査』)。この10年余りでほぼ3.5倍に増えた計算だ。 背景には「最後までとことん治療されるより、なるべく自然に息を引きとりたい」という望みの高まりがある。点滴や胃ろう(腹部にあけた穴から、胃に直接チューブを入れて流動食を流し入れる方法)などの延命治療を望まない人も増えている。 千葉県の「終末期医療のあり方について」という県民アンケートで、延命治療について、9割以上が「望まない」「どちらかというと望まない」と回答。 日本人が、生活の質(QOL)とともに死の質(QOD=クオリティ・オブ・デス)」について自分なりの考えを持ち始めているのだ。 かつて日本人の多くは住み慣れた家で、老衰死していた。年をとって、どうも体調がよくない、食欲がない…と思っているうちに、寝ている時間が長くなり、食物も水もあまりとらなくなり、しだいに意識がぼんやりしていって、ロウソクの火が消えるように逝った。 がんの治療もほかの病気の治療もなるべく遠ざけ、痛みや呼吸苦だけは抑えて体を自然に任せたい。そう望む日本人が、今後ますます増えていくのかもしれない。
2016.12.11 16:00
NEWSポストセブン
写真家・清水清太郎氏も舌巻く中森明菜の自分プロデュース力
写真家・清水清太郎氏も舌巻く中森明菜の自分プロデュース力
 肉欲的で被写体の色香が匂い立つような写真を得意とする写真家の清水清太郎氏。40年以上、数多くの女性を撮影してきた中で、清水氏が舌を巻くほどセルフプロデュース能力に長けたモデルがいる。 特に『十戒』、『飾りじゃないのよ涙は』のレコードジャケットを撮影し、1984年の1年間、オフィシャルカメラマンを務めた中森明菜は別格だったと語る。「コンサートの時。開始時間が近づくにつれ、超満員の客がだんだん騒ぎ出すわけよ。ところが時間になっても明菜が出てこない。裏では舞台監督とか皆が明菜に“出て!”っていってるのに、あの子は構えて全然出て行かないんだ」 徐々に客席が騒ぎ始める。そしてこれ以上はパニックになるという頃合いになった時、「ドーンと、ドアを蹴っ飛ばすような勢いで出て行った。その瞬間に会場は最高潮だよ。こいつはすごいなって思った。自分で演出してんだなって」 同様に感心させられたのが川島なお美だった。「こういう私を撮ってほしい、こういう衣装がいいというアイデアをどんどん出してくる。自分の中でイメージができるんだろうな。頭が良い子だったね」 還暦を超えた今も、次の被写体を探し、精力的に撮影を続ける清水氏。その原動力は何か。「そんなの理由は一つだよ。綺麗な女性が、そして写真が大好きだから。これに尽きるね」※週刊ポスト2016年11月11日号
2016.11.06 16:00
週刊ポスト
松居一代が離婚危機、船越英一郎にポルシェおねだりゲット
松居一代が離婚危機、船越英一郎にポルシェおねだりゲット
 築300年を超える都内の名刹、「深川不動堂」の境内に、超高級外車が乗りつけられたのは、6月末のある週末のことだった。車の傍らには、黒服に袈裟懸けをし、神妙な顔をした一組の夫婦──松居一代(59才)と船越英一郎(55才)だった。「この日は松居さんの誕生日で、船越さんが新車をプレゼントしたそうです。夫婦で車のお祓いに来たらしく、周囲の参拝客はみんなビックリしちゃって…(苦笑い)。スマホで撮っているかたもいましたね」(居合わせた参拝客) 船越がプレゼントしたという新車は、ドイツ車『ポルシェ』の911カレラSのオープンカータイプで、お値段なんと1800万円。「松居さんがおねだりしたそうです。彼女の愛車はそれまで、数千万円という超高級外車の『ベントレー』でしたが、“そろそろ新車が欲しいの”と」(芸能関係者) 船越と松居といえば、本誌が報じてきたように、目下離婚危機にある。昨年10月、松居が新刊の出版記念会見で船越と故・川島なお美さん(享年54)の過去の交際を暴露したことに始まり、鎹(かすがい)だった長男の独立もあって、船越は夫婦生活に意義を見いだせなくなっていた。「今年中には決着をつけると今も周囲に話しています。にもかかわらず、こんなに高いプレゼントを買ってしまう船越さんというのも、離れられない男のつらさというか、なんというか…。船越さんからすると、“最後のプレゼントになるかもしれないから”という思いもあったようですけどね…」(別の芸能関係者) もっとも、そこでポルシェを選ぶあたりは、“カリスマ主婦”の松居らしい。現在、日本の車市場は燃費のいいハイブリッド車や軽自動車がブームだが、一方で過去にも増して高級外車のポルシェが人気なのだ。「本国ドイツで人気が急上し、海外にも波及しているんです。中古市場では特に顕著で、この1年で2倍近くに値段が跳ね上がった型もあります」(あるディーラー) 限定モデルだと、5年前に1000万円だったものが、現在は5000万円にまで急騰している例もあるという。 確かに、最近報じられた“ハンカチ王子”こと日本ハムの斎藤佑樹投手(28才)が出版社社長にねだったのもポルシェだった。芸能界でもポルシェ愛好者は多い。福山雅治(47才)や安室奈美恵(38才)、石橋貴明(54才)、SMAPの香取慎吾(39才)、出川哲朗(52才)、もポルシェオーナー。 今年は新型モデルが登場したとあって注目度も大きく、車にも精通する松居が選んだのも“必然”だったようだ。松居もまた、一流芸能人に続けとばかりにポルシェデビューを果たした形だが、「株投資に精を出す松居さんですが、ポルシェはリセールバリューが高いことでも知られています。旬の人気でありながら、いざとなれば高値で売れますから、松居さんが欲しがるのは当然です」(前出・別の芸能関係者) なんて声まで聞こえてくるのはお約束。冒頭、深川不動堂での1時間にわたるお祓いを終えた松居は、自ら新車のハンドルを握り帰路についた。※女性セブン2016年8月4日号
2016.07.20 16:00
女性セブン
1990年代 なぜ大物女優たちは次々に脱いだのか
1990年代 なぜ大物女優たちは次々に脱いだのか
 1990年代は大女優から人気アイドルまで、こぞってヘアヌードですべてを見せた時代である。1991年10月13日、当時18歳で人気絶頂のアイドルだった宮沢りえが、写真集『Santa Fe』で脱いだ影響で、若くて売れている時に脱ごうという雰囲気もできた。 1993年には杉本彩が24歳、1994年には武田久美子が25歳、1995年には高岡早紀が22歳でヘアを露わにし、さらなる飛躍のきっかけとした。女優として伸び悩んでいた川島なお美は32歳の時に出版した『WOMAN』が55万部を売り上げ、その後ドラマ『失楽園』などで地位を築いた。過去に200冊以上の写真集を制作した編集者がいう。「脱げば女優としてさらに売れるという多くの成功例ができ、口説きやすい状況が整った。また『あの人が脱いでブレイクしたなら……』と、女優同士での競争意識が働き次々と写真集が刊行されていきました」 1994年には250冊以上ものヘアヌード写真集が出版され、そのなかには同年のミス日本入賞者である大竹一重もいた。実は1992年からの3年間で、同賞受賞者が5名もヘアを露出。この事態に、ミス日本事務局が「今後、無断でヘアヌードを発表した受賞者はミス日本を剥奪する」と発表するほどだった。 一方で過熱するブームがトラブルも引き起こす。1996年3月、荒木経惟氏撮影の藤田朋子『遠野小説』は、藤田側が「ヘア写真を無断で使用された」と裁判を起こし、出版差し止め仮処分となった。 記者会見を開いたものの、藤田は質疑応答を設けず、「ご迷惑をおかけしました」などと原稿を棒読みし、わずか1分半で打ち切った。会見場を去ろうとする藤田に報道陣が押し寄せ、「なんで逃げるんだよ!」と怒声が飛び交う大荒れの現場となった。 翌1997年8月には、菅野美穂が20歳の誕生日に『NUDITY』を発売。初版10万部に対し、発売前に30万部の予約が入る大フィーバーとなった。 だが、記者会見で「お友達はどういっていますか」と聞かれ、「怒られるかなと思ったら、みんな喜んでくれて……」というと両手で顔を覆い、約5分間も泣きじゃくった。菅野の涙は「出版は本意ではなかったのでは」などの憶測を呼び、その直後にCM契約を打ち切った会社もあった。 1990年代後半になると大物女優たちのヘアヌード発表が落ち着き、意外性のある被写体に白羽の矢が立った。 1998年にはプロレスラーのジャガー横田、1999年には羽賀研二と梅宮アンナとの三角関係でワイドショーを騒がせた桜庭あつこがヘアヌードに。2000年にはヘアこそ見せなかったものの、前年に浅香光代との確執が表面化したサッチーこと野村沙知代までもが脱いでしまった。 一時の大ブームこそ去ったものの、1998年に葉月里緒奈、2002年に松坂慶子などがヘアヌードになり、最近でも壇蜜が写真集に挑み見事にブレイクを果たした。 はたして『Santa Fe』級の衝撃ヘアヌードは再び世に登場するだろうか──。※週刊ポスト2016年6月24日号
2016.06.19 16:00
週刊ポスト
故川島なお美さん 5千万円の墓にはロマネコンティ像
故川島なお美さん 5千万円の墓にはロマネコンティ像
 梅雨の合間の突き抜けるような青空の下、参列者のワイングラスに注がれたのは「Chateau Le Pin POMEROL」の1992年物。年間8000本ほどしか生産されない希少な赤ワインで、1本40万円前後とされる。「墓前には白菊ではなく真っ赤なバラ、それに参列者で一緒にワインを飲む納骨式は初めてでした。でもそれって川島さんを偲ぶのにはぴったりだなって」(参列者の1人) 350年の歴史がある東京・麻布十番のある古刹。6月10日、昨年9月24日に胆管がんで亡くなった川島なお美さん(享年54)の納骨式が執り行われた。 参列者はおよそ50人。夫でパティシエの鎧塚俊彦氏(50才)のほか、川島さんの親族、愛犬のココナッツ、そして生前親しかった山田邦子(56才)や作家の林真理子氏(62才)、作曲家の三枝成彰氏(73才)など。彼女が憧れていた女優の倍賞千恵子(74才)は挨拶で、「これからもっと親しくしたかったのに、私よりも若くておきれいな川島さんが先に逝ってしまうなんて…」と言葉少なに故人を偲んでいた。 納骨式でひときわ視線を集めていたのは、個性的な墓石だった。 鏡のような輝きとともにそびえ立つ黒い石の塔には丸く大きな穴が空いている。その竿石のてっぺんには、今脱いだばかりのように見えるつばの広い帽子がデザインされ、さらに、石塔の手前には、川島さんが愛したワイン「ロマネコンティ」の1960年物(川島さんの生まれ年)のボトルが精巧に作られている。 香炉が乗った石の台には『YOROIZUKA』の文字と共に、ワイングラスを握った2匹の犬が、仲がよさそうに顔を寄せ合っているイラストが刻まれている。それはおそらく、参列したココナッツと、彼女が亡くなる直前にこの世を去った愛犬シナモンだろう。「鎧塚さんがデザインしたそうです。当日の挨拶でも、“亡くなった後も女優としての魂を大切にしているので、こういうお墓を作った”とお話しされていました。普通の墓石なら1か月ほどでできるそうですが、鎧塚さんはデザインを何度も修正し、職人が手作業で石を彫り込んだので、発注から完成まで4か月以上かかったそうです」(夫婦の知人) 一般に納骨は四十九日の法要の後に行われるが、川島さんの場合は9か月も要した。 最愛の妻とまだ離れたくない、側に置いておきたい、そして美しい妻らしいお墓に入れてあげたいという鎧塚氏の思いが、墓石へのこだわりと長い制作期間に繋がったのかもしれない。「このお寺のお墓の1区画は1m×1m。川島さんの場合はそれでは狭かったので、1.5区画を使っています。永代供養料や年間管理費を合わせると1000万円を超えます。それに墓石の額を加えると、費用は5000万円近くになるのではないでしょうか」(寺院関係者) この寺を永遠の眠りの場として選んだのは川島さん自身。親交のあった奥田瑛二・安藤和津夫妻や三枝氏がここに墓を持っていることから、死後も“墓友”として近くで過ごせるよう、購入を決めていたそうだ。「川島さんは生前、鎧塚さんと一緒に下見をしていました。それから、このお寺は春になると桜がきれいなのですが、その時期に奥田さん夫妻と一緒にお花見を楽しんでいたこともあり、楽しい思い出のあるここを選んだのでしょう。生き残った側が、先に亡くなった側にお線香をあげて供養したり、お墓の掃除もしたりしようという話もされていたそうです」(別の寺院関係者)「もし私が先に逝ったら、墓石にワインをかけてね」と“墓友”に語っていたという川島さん。天国に届いた芳醇な赤。生前の元気な彼女が目に浮かぶ。※女性セブン2016年6月30日号
2016.06.17 07:00
女性セブン
胆のうがんを告白した渡瀬恒彦
渡瀬恒彦 胆のうに腫瘍、闘病しながらドラマ撮影継続
 俳優・渡瀬恒彦(71才)が現在闘病中であることが明らかになった。昨秋に詳細な健康診断を受けたところ、胆のうに腫瘍が見つかったという──。 4月スタートのドラマ『警視庁捜査一課9係』(テレビ朝日系)が好調だ。2006年4月にスタートしたロングランの刑事ドラマで、今回がシリーズ第11弾。渡瀬恒彦がいぶし銀のキレ者刑事を熱演し、V6の井ノ原快彦(40才)、羽田美智子(47才)、吹越満(51才)らが脇を固め、難事件の解決をめざす。 各局のドラマが大苦戦するなか、常に視聴率10%台をキープする安定した人気で、今やテレ朝の「看板ドラマ」。だが、主演の渡瀬ががんと闘っていることは知られていない。「渡瀬さんは『9係』のシリーズ第10弾が終わった昨年の夏から秋にかけ、5か月ほど休みを取ったんです。ドラマや映画の仕事を休みなく続けてきた渡瀬さんにとっては久しぶりの長期休暇でした。せっかくだから体の隅々までチェックしようと、昨秋、かかりつけの総合病院で詳細な健康診断を受けました。その際、胆のうに腫瘍があることがわかったんです」(渡瀬を知る関係者)「胆のう」は肝臓と十二指腸の間にある袋のこと。肝臓で作られる消化液(胆汁)を一時的に蓄える臓器であり、胆汁を十二指腸に運ぶ管である 「胆管」と合わせて、「胆道」と称される。一般に「胆のうがん」と「胆管がん」を合わせて「胆道がん」と呼ぶ。日本では年間およそ1万7000人が胆道がんで亡くなっている。医療法人社団進興会理事長で医師の森山紀之さんが解説する。「胆のうがんは自覚症状がないため早期発見が難しく、検診の超音波検査で偶然的に発見されるケースがほとんどです。発見したらすぐに手術で摘出することが一般的ですが、見つかった時には他部位に転移していて、手術ができない場合も多い。そうすると、1年生存率は20%ほど、3年生存率は3%まで下がります。腫瘍が悪性か良性かを見分けるのが難しいという難点もあります。10mm以上の腫瘍ならがんの可能性が高いため切除しますが、5mm程度の腫瘍なら手術をせずに様子を見る選択肢もあります」 著名人では、作家の瀬戸内寂聴さん(94才)が2014年9月に胆のうがんの摘出手術を行った。昨年9月に亡くなった川島なお美さん(享年54)は胆管がんを患い、手術を受けたが再発し、その後は抗がん剤や放射線治療を拒否して民間療法に頼っていた。「渡瀬さんはまだ手術をしていません。腫瘍を抱えながらそれを誰にも悟られることなく仕事を続けている」(前出・関係者) 昨年秋に胆のうがんが発覚した渡瀬は長期休暇ののち、昨年12月に撮影が始まったドラマ『おみやさん』のスペシャル版(今年2月放送)で仕事を再開した。この時、渡瀬の「異変」に気づいた人もいた。「撮影中に渡瀬さんの滑舌が悪くなってせりふが聞き取りにくい場面が何度かあったんです。少し走るシーンでもすぐに息が上がり、どこかつらそうでしたが、渡瀬さんから“休憩したい”といった要望もなかったので、撮影はそのまま続きました。視聴者も異変に気づいたようで、ネットには“渡瀬さん、体調が悪いのでは”と心配する書き込みがありました」(ドラマ関係者) 現在、『9係』の撮影が続いているが、渡瀬は病気のことを共演者に一切伝えていない。がんを知っているのは、ごく限られたスタッフのみ。闘病を隠して撮影に臨むのは、渡瀬にとって『9係』が、「同じ共演者で続けたい」とのこだわりが強い作品だったからだ。「『9係』のシリーズ化が決まった時から渡瀬さんは、『出演者が一人でも欠けたらやめる。代わりになる人はいない』と公言していました。11年目を迎えたドラマだけに、“みんなで同じ方向を向いて取り組んでいる”との思い入れが渡瀬さんにはあるんです。それほどこだわりのあるドラマなので、闘病中といえども主演の自分が撮影を休むなんて考えられないのでしょう」(前出・ドラマ関係者) 自覚症状はほとんどないというが、「仕事に関しては弱音を一切吐かないのが渡瀬さん。本当に痛みがないのか、つらくないのかは、本人以外、誰にもわからないんです」(前出・ドラマ関係者)という。 渡瀬は誰に愚痴るわけでもなく、収録に臨んでいる。体力的な面だけでなく、変化が大きいのはむしろ精神面なのかもしれない。「以前の渡瀬さんはスタジオ入りが誰よりも早く、セットづくりなどスタッフの仕事まで手伝っていました。その姿を見て、イノッチさんや吹越さんが同じようにスタッフを手伝うのがシーズン1からの“伝統”でした。ところが今回、渡瀬さんがスタッフの準備を手伝う姿はほとんど見られません。その代わり、経験の少ない若いスタッフに積極的に話しかけてアドバイスすることが多くなりました。“自分の経験を次世代に継承したい”という意識が強いようです」(ドラマスタッフ) 仕事場だけではない。酒豪で知られる渡瀬だが、がんの発覚以来、酒を一切断っている。体を冷やさないように、多めに服を着込んだり、冷たい飲み物を飲まないなどの工夫をしているのが目につくという。 健康管理を徹底し、この数か月間は短い入院や通院をして、精密検査や投薬で進行を遅らせる治療を続けている。「胆のうがんで怖いのは他部位への転移。転移していれば手術できないが、していなければ、摘出してしまえばいい。手術・入院は3週間ほどだそうです。今は病院で転移がないかどうか、手術ができるかどうかを検査しているところだと聞いています。転移がなければ手術に踏み切るのではないでしょうか」(前出・関係者) 過去、がんと闘ってきた多くの俳優は転移しても抗がん剤による治療は選択しなかったという。それは、副作用で髪が抜けるなど、役者として演じ続けるのに支障がでるからだ。 もし転移していたら──そんな不安がよぎらないこともないはずだ。 本誌取材に対し、渡瀬本人は所属事務所を通じて、こうコメントを出した。「4月より放送中の『警視庁捜査一課9係』をご覧いただいているかたがたはじめ、スタッフ・キャストほか関係者の皆様にもご心配をおかけし、申し訳なく存じます。 渡瀬恒彦に関しまして、昨年の秋、検査で胆のうに腫瘍が発見されました。 その後の治療経過は順調で、体調のほうも問題なく仕事に臨んでおります。 今後も治療は続きますが、皆様に楽しんでいただけるドラマを作り続けたいと思っております。 渡瀬は、個人的なことを公にすることなく俳優を続けてまいりましたが、今回ご心配いただいている皆様に対して、下記の通り本人よりコメントを出させていただきました。『撮影現場が僕に力をくれます。ご心配おかけしましたが、「9係」、その後予定しているドラマにもご期待ください。  渡瀬恒彦』」※女性セブン2016年6月9・16日号
2016.05.25 16:00
NEWSポストセブン
真田丸 秀吉演じる小日向文世らの「名古屋弁」の面白さ解説
真田丸 秀吉演じる小日向文世らの「名古屋弁」の面白さ解説
 堺雅人主演で、個性派の役者陣の起用でも話題を集めるNHK大河ドラマ『真田丸』。午後8時から放送の総合放送に先立って、午後6時からBSプレミアムで放送される分も高視聴率を記録するなど、放送開始から半年近く経ってもまだまだ好調が続く。大坂篇もいよいよスタートしたが、小日向文世演じる豊臣秀吉らの「“名古屋弁”に注目している」というのはコラムニストのペリー荻野さんだ。以下、ペリーさんの解説だ。 * * *『真田丸』は、主人公真田信繁(堺雅人)が巨大な大坂城に口あんぐりして大坂篇に突入。行方不明だった姉・松(木村佳乃)も戻って、にぎやかになり、視聴率も上がってきた。そこで私が気になったのは、言葉のイントネーション。要するに秀吉らの名古屋弁(学術的には細かい分類があるかもしれないが、ここはざっくりと名古屋弁ってことで)である。ドラマの場合、あまり方言が出過ぎるとわかりにくくなるため、セリフではあまり使われないことも多いが、『真田丸』では秀吉一族は名古屋弁を使う方向らしい。そこで今回は、三河生まれ、名古屋育ちのペリーが「真田丸 名古屋弁チェック」をしてみようと思う。 まずは小日向文世演じる豊臣秀吉。秀吉は、天下人となり、キンキラの大坂城の主となっても名古屋中村生まれの言葉はそのまま。関白になると下の身分の者とは酒も飲めないと知り、「わしだけ偉なっても仕方にゃーしよー」と仲間の大名の官位も上がるよう朝廷に願い出たという。信繁を頼りたいときには、「わしゃこう見えてもどえりゃあ気が小せえもんで…」「力になってちょー!!」、家康(内野聖陽)に他の大名たちの前で一芝居打ってくれと頼み込むときは「やってちょーでゃーせ!!」とごり押しする。「にゃー」「ちょー」など小さな「ゃ」「ょ」は名古屋弁イメージの基礎ですね。秀吉の場合、この馴れ馴れしさが人たらしの武器にもなっていることがよくわかる。 また、笑っているのに仏頂面、と評判になった秀吉の妹・旭(清水ミチコ)。個人的には愛知の隣県岐阜出身の強みを活かして、何かやってくれるかと期待したが、なんとセリフは一言のみ。三谷幸喜から出演依頼があったとき「セリフはなしで」と申し出たらしい。思えば、かつての大河ドラマ『おんな太閤記』では旭を演じていたのは、泉ピン子だった。そのモノマネでもよかったが…。いつかこっそりとやってほしいものである。  そして、インパクト抜群だったのは秀吉の母なか役の山田昌。自分が日本のトップだと示すために家康の上洛を促したい秀吉は、「家康のところに行ってちょーせんか」と母に徳川の人質になってと頼む。「自分の実の母親を」と妻の寧(鈴木京香)は名古屋弁イントネーションで猛反対。しかし、息子の言葉を聞いたなか本人は「藤吉郎が助かるんなら、私、喜んで行くぜーも」「なんだしゃん、私、楽しいような気がしてきた」「私、喜んで行かせてもらうでなも」とにこにこ。息子の願いをあっさり受け入れる。「ぜーも」も「なんだしゃん」も「もらうでなも」などハイクラスの名古屋弁を三連発。すらすら出てくる山田昌。秀吉の言葉を借りれば「さすがはお袋さまだぎゃー」である。 山田昌といえば、古くは故・川島なお美ら名古屋系俳優が多数出演したドラマ『名古屋嫁入り物語』シリーズ不動の名古屋の母役として知られる。現在86才。名古屋弁のレジェンドである。 これまでの大河ドラマでは竹中直人主演の『秀吉』でなかを演じた市原悦子が、派手な身なりのうつけ者信長(渡哲也)を観て「そんでもええ男~」とつぶやいたり、ふんどし一枚で走り回る秀吉(竹中)を観て「なんでふんどしいちみゃあなんだ」と叫んだりと、名古屋弁母伝説を作ってきた。今回の山田昌はさらにネイティブ感あふれるなか像を見せつけた。 今後、秀吉がどんな言葉で茶々(竹内結子)にメロメロになるのか。寧が夫を諌めるのか。聞き耳をたて続けることにしよう。
2016.05.18 16:00
NEWSポストセブン
武田久美子の貝殻ビキニ 本人が食事中にホタテを見て閃いた
武田久美子の貝殻ビキニ 本人が食事中にホタテを見て閃いた
 出版した写真集は217冊、雑誌も含め撮影したモデルは4000人以上──。写真家歴40年以上の渡辺達生氏が、女優・アイドルとの忘れられない撮影秘話を明かす。 渡辺氏の数多い作品の中でも、代表的なのはやはり1989年に撮影された武田久美子の「貝殻ビキニ」である。実はこれは武田本人の発案だった。渡辺氏が目を細めて語る(以下、「」内の発言は渡辺氏のもの)。「前日、食事中に出てきたホタテを見て閃いたみたい。それでアシスタントに土産物店を回ってもらって、同じ色・形の貝殻を探してきてもらった。撮影はハワイのノースショア。話題になって良かったよね。今でも近所の人から貝殻、貝殻っていわれるくらいだから(笑い)」 もう一つの代表作は1993年発売の川島なお美の『WOMAN』だ。売り上げは55万部の大ヒット。ヘアヌードブームにおける象徴的な作品となり、また、川島にとっては大女優へステップアップを図るきっかけとなった。同写真集にはヌードだけではなく、印象的なモノクロの写真が多用されている。「モノクロ写真は実家に撮りに行ったのを覚えています。実家といえば、彼女はお父さんが裁判官で、本当は写真集は退官してから出版しようとしていた。でも退官が延びちゃって、結局在任中に本が出ちゃったんだけどね(笑い)。彼女とはその後も長くお付き合いをさせてもらいました。亡くなったのが本当に悔やまれる、美しい女性でした」 そしてもう1人、渡辺氏が印象に残るモデルとして名前を挙げるのが葉月里緒奈だ。「数だけなら一番撮ったんじゃないかな。フィルムで換算すると何千本というレベル。デビュー当初から何度も現場をともにしましたよ」 強気な性格に見られがちな葉月だが、渡辺氏の作品では屈託のない笑顔を見せている。「よく笑うし、よく食べる。気分屋といわれるけど本当に素直な子だったよ。強気なイメージなんてない。撮っていると、表情がコロコロ変わるから面白いんだよね」※週刊ポスト2016年4月29日号
2016.04.21 07:00
週刊ポスト

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