長嶋茂雄の最新ニュース/6ページ

【長嶋茂雄】に関するニュースを集めたページです。

伝説の投げ合いについて語る(撮影/松本昇大)
元巨人・西本聖氏「孤立していた江川卓に声かけた理由」語る
 いよいよプロ野球が開幕する。今年は原辰徳監督が再び率いることになった巨人が4年連続V逸の汚名を返上できるかどうかに注目が集まっている。 その巨人の黄金期を支えた、江川卓氏と西本聖氏。2人の伝説とも言われるライバル関係を描いた漫画『江川と西本』(作/森高夕次、画/星野泰視)が連載されているビッグコミックスペリオール(3月22日発売号)で、なんと本人たちが登場した。西本氏はインタビューで、江川氏の「空白の一日」事件を経て入団した直後の「江川との関係」を明かした。 * * *──ドラフト騒動(空白の一日事件)を経て入団直後、孤立していた江川さんに声をかけてキャッチボール相手に名乗り出たと聞きます。その理由は?西本:実は自分の記憶では「そうだったかな?」という感じで……理由はハッキリ分からないけど「江川さんとキャッチボールしたい!」って本能的に思ったのかもしれません(笑)。 当時は試合前、江川さんと球場内をランニングしていると、本当に酷い野次が客席から飛んできました。これが自分だったら絶対にキレるな……と思うくらい酷い。でも江川さんは、ただ黙々と走っていた。それが印象的でしたね。あと普段は遠征先で試合が終わると、夕食を食べに皆で町へ繰り出すんですが、江川さんは試合が終わったら宿舎にこもっていました。たぶん現役中はずっとそうだったかな……それぐらい周囲に気を遣っていましたね。──江川さんはブルペンで西本さんが投げるシュートを見て驚いたそうです。西本:えっ、それ本当に江川さんが言ってたんですか? 意外だなぁ……江川さんは他のピッチャーのことなんか全然相手にしない、というより気にしない感じでした。ブルペンで隣に誰がいようが、ただただ自分のペースで投げているように見えました。だから僕のシュートのことを「こんな曲がってすごいな」って思ってくれたなら、当時言ってくれればもっと嬉しかったな(笑)──「江川と西本」のライバル関係を象徴する出来事と言えば、1979年の長嶋茂雄監督の下で行われた「地獄の伊東キャンプ」での投げ合いですね。江川さんに投げ込みを挑んだ理由とは?西本:練習でも江川さんに負ける事が自分の中では許されなかったというか……まあ自分から一方的にけしかけていったんですが、江川さんも相当意地になっていたんじゃないですかね。「なんだ? こいつ?」って感じで。※ビッグコミックスペリオール8号(3月22日発売)より一部抜粋
2019.03.23 16:46
あのライバルとの関係を語った(撮影/松本昇大)
江川卓氏 伝説となった「江川と西本」の本当の関係を明かす
 元祖“怪物”投手、江川卓氏。高校時代は160キロは出ていたという逸話が残る彼の進路は当時、日本中の注目を集めた。球界の歴史に残る「空白の一日」騒動を経て1979年に巨人に入団。そんな彼の最大のライバルは他球団ではなく、同じ巨人軍にいた西本聖氏だった。ドラフト外で入団し、“雑草”と呼ばれた西本氏と江川氏のライバル関係を描いた漫画『江川と西本』(作/森高夕次、画/星野泰視)が連載されているビッグコミックスペリオール(3月22日発売号)で、なんと本人たちが登場した。そのインタビューの中から、江川氏が西本氏との関係について語ったエピソードを紹介しよう。 * * *──ドラフト騒動(空白の一日事件)を経て入団直後、チームはどのような雰囲気でしたか?江川:やはり自分に対する雰囲気はかなり厳しかったですね。初練習の時、キャッチボールをしてくれる相手がいなくて……チームには大学時代からの知り合いの鹿取(義隆。元巨人GM)が一足早く入団していたんですが、声をかけることすら憚られましたね。鹿取が周囲に「江川派だ」と思われるのが申し訳なく思ったからです。自分のチームなのに「アウェー」な状態でしたから。そんなポツンとしてた僕に、声をかけて相手をしてくれたのが西本でした。──当時の西本さんの印象は?江川:西本とは高校時代に練習試合をしていたので認識はしてましたが、申し訳ないですが投手としての印象はほぼ無かったですね。でも入団直後、ブルペンで初めて西本のシュートを見て驚きました。左投手が投げるスライダーより曲がるんですよ。「これは打てないな」と思ったんです。でもそれは西本には言わなかった。今だから言えますね。もし褒めたら、西本が調子上げて勝ち過ぎちゃうでしょう?──シーズンが始まって相手ファンからの野次が凄かったと聞きます。江川:覚悟してたけど、とにかく壮絶でしたね。客席からモノが飛んでくることもあったけど、しようがないと思ってました。とにかく僕とのトレードで巨人から阪神に入団することになった当時のエース・小林繁さんを超えなければ皆には認められないし、何より小林さんに申し訳ないという思いでした。ドラフト騒動時、実家は朝6時から夜中の2時まで抗議の電話が鳴りっぱなしで、受話器取ったら「バカ野郎」って怒鳴られて……おふくろは黒い髪が真っ白になりました。だから一時はもうプロなんて無理だと諦めもした。それでも入団する以上は、色んなことが待ち受けてるだろうけど、絶対に揺らいではいけないと覚悟を決めました。──その年、長嶋茂雄監督の下で「地獄の伊東キャンプ」と呼ばれたキャンプが行われました。そこでは西本さんと、伝説ともなった投げ合いがありましたね。江川:あれは確か300球を超えて……投げ始めて2時間以上経ってキャッチャーの方から「もう終わりにしてくれ!」って怒られて終わりましたが、それがなかったら西本が止めない限り、自分からは絶対止めないぞと思って投げていましたから。 正直、これまで野球をやってきて西本のように、練習とかで勝負をけしかけてくるチームメイトなんて誰一人いなかったんです。巨人に入ってもそんな奴は西本しかいなかった。僕の野球人生において初めて遭遇した人種でしたね。※ビッグコミックスペリオール8号(3月22日発売)より一部抜粋
2019.03.22 20:02
来季はかつての大物助っ人がコーチに?
元木大介コーチ “曲者ノック”で岡本和真を右往左往させる
 栄光の巨人軍復活を目指して、“第3次政権”をスタートさせた原辰徳監督。その原監督が「キャンプのMVP」として名前を挙げたのが元木大介・内野守備兼打撃コーチ(47)だ。宮本和知・投手総合コーチ(55)とともに“タレント出身コンビ”として話題を集めているが、キャンプ、オープン戦と一貫して若き4番・岡本和真(22)のお目付役を務めている。 元木コーチは、引退後、“おバカキャラ”でバラエティに進出し、俳優業、飲食店経営など球場外での活動が世間をにぎわせた。過去には週刊誌の対談で、巨人OBからそうした活動について苦言を呈されていることを明かしたが、〈僕は正直、ひがみだろうと思ってるんです。「あんた、(テレビに)出られないんでしょ」って〉と、気にする様子も見せなかった。 そんな元木コーチは、現役時代の自身のプレースタイルをコーチになってからも踏襲しているという。「現役時代は曲者として鳴らしましたが、ノックの打球も“曲者”なんです。強烈な打球を打ったかと思えば、鈍い回転の球を左右に振ったりと、実戦的で嫌らしいノックをする。岡本のユニフォームは見る見る真っ黒になっていく。現役時代を彷彿させる予測不能のバットコントロールです。 ただ、当の元木コーチはキツそうな岡本の顔を見てすごく嬉しそうな顔をしているので、ただ意地悪なだけかもしれません(笑い)」(巨人担当記者) タレントとしてテレビに出演していたときは、おバカキャラだったこともある元木コーチ。巧みなプレーから、かつて長嶋茂雄氏に「曲者」と評されたときの達人ぶりを発揮しているようだ。※週刊ポスト2019年3月29日号
2019.03.17 21:58
巨人×中日「10・8決戦」の裏側、高木守道氏の述懐と後悔
巨人×中日「10・8決戦」の裏側、高木守道氏の述懐と後悔
 平成6年(1994年)10月8日。平成の名勝負として語り継がれる、優勝がかかった巨人vs中日戦が行なわれた。同試合について、当時、中日の監督だった高木守道氏が振り返った。 * * * 巨人の長嶋茂雄監督が「国民的行事」と称した「10・8決戦」。私は中日の監督として巨人と対戦しました。このシーズン、前半は巨人に大きく引き離されましたが、後半に中日が猛追。最終戦を残して同率首位となり、勝ったほうが優勝という試合になりました。 私は3年契約の最終年でした。7月の時点で解任報道が出ていたし、次の監督は星野仙一ということも決まっていた。だから最後までしっかりやろうという気持ちは強かったですね。コーチ陣にも「最後まで頑張ろう」と話したし、普段は願掛けなどしたこともないのに、この時は「有終の美を飾らせてほしい。見守っていてほしい」と何度も仏壇の親父やおふくろに手を合わせました。 戦前予想は中日有利でした。というのは、巨人キラーの今中慎二が先発することになっていたからです。我々中日ベンチは今中にすべてを賭けて、マウンドに送り出しました。 ところが巨人はその今中を徹底的に研究していました(今中は4回5失点で降板)。あとで聞いた話ですが、この試合までに行なわれた巨人のミーティングの回数はすごかったそうです。それに試合が始まると、槙原寛己、斎藤雅樹、桑田真澄の先発三本柱をリレーさせるオールスターゲームのような継投をしてきました。ここ一番に賭ける思いの強さを感じました。 一方の中日は、これは偏に私の経験のなさが原因ですが、正直言って巨人に比べれば「これは130分の1ではない特別な試合なのだ」という認識に欠けていたと思います。若い選手を使って足を絡める、シーズン中通りの野球をしようと思いましたが、球場は異様な空気に包まれており、若い選手たちは緊張のあまりいつもの野球ができませんでした。結局、3対6で中日は敗れました。 試合後、私は契約通り辞めるつもりでした。ですが選手たちが「もう1年やりましょうよ」と言ってくれた。それに球団からも後半戦の好成績が評価され、翌年も続投になったんです。私も野球が好きだから、もう1年やろうとユニフォームを着ました。でも結果は成績不振で、翌年6月に途中解任。あの時でスパッと辞めておいたら、もう少し格好よかったかなあ、と反省しています(笑い)。※週刊ポスト2019年2月1日号
2019.03.11 15:27
巨人OB淡口憲治氏「丸ではなく岡本を4番にすべき」
巨人OB淡口憲治氏「丸ではなく岡本を4番にすべき」
 ストーブリーグ最大の話題は、やはり丸佳浩(29)の巨人へのFA移籍だ。 人的補償に生え抜きの長野久義(34)が選ばれたことも波紋を広げるが、長嶋茂雄監督時代に代打の切り札として活躍し、コーチ就任後は松井秀喜氏らを育てた淡口憲治氏(66)は肯定派だ。「丸くんは三拍子そろった最高のバッター。若手が伸び悩んでいるからこそ、これぐらいの補強をしないとV奪還ができないという意志の現われでしょう」 ただ、その起用法については「本来は4番だろうが、チームの将来のためにも若い岡本和真くん(22)が4番に座るのが理想ではないか」とする。 新戦力を活かしながら、生え抜きを育てるわけだ。「原(辰徳)監督は丸くんの加入でいろんな戦い方の引き出しを持つことになり、様々な手札を組み合わせて有利にゲームを進められます。理想的なメンバーの加入によって、広島と優勝を争うことになるでしょう」※週刊ポスト2019年1月18・25日号
2019.03.11 15:28
丸佳浩の入団会見で笑顔を見せる原辰徳監督(写真:時事通信フォト)
ジャイアンツ愛はどこに? 生え抜き重視だった原監督の変貌
 FAで広島から丸佳浩、西武から炭谷銀仁朗、その他にもオリックスを自由契約になった中島宏之、元マリナーズの岩隈久志を獲得するなど、今オフの補強に余念のなかった読売ジャイアンツ。しかし、FAの人的補償として広島に長野久義、西武に内海哲也という生え抜きの主力選手が流出したことで、ファンからは惜しむ声が続出している。 3度目の巨人監督就任となった原辰徳監督は1月8日、客員教授を務める国際武道大学で特別講義を行なった際、「勝負の世界は足し算ばかりではない。引き算で長野、内海はいなくなったが、トータルで答えが出たときにどういう結果になるか。これが勝負」と話した。野球担当記者が話す。「何かを得れば、何かを失うのがFA制度ではある。たしかに丸は大きな戦力に間違いないですし、ここ数年の成績を比べれば長野より上です。しかし、プロ野球を人気商売と考えた時、長い間、巨人に貢献してきた長野や内海の流出をファンがどう思うか。圧倒的にその視点に欠けているといわざるを得ないでしょう」(以下同) 巨人の“生え抜き軽視”は今に始まったことではない。FA制度が出来ると、1994年に中日から落合博満、1995年にヤクルトから広沢克己が移籍してきた。この時、最も割を食ったのは、他ならぬ生え抜きのスター選手である原辰徳自身だった。「長嶋茂雄監督就任1年目の1993年、原は4番を任されていたものの、絶不調に陥り、入団以来12年連続で続けていた20本塁打以上の記録も途切れます。すると、長嶋監督はFAで落合を獲得し、4番として起用し続けた。1994年、ケガで出遅れた原ですが、復帰戦で本塁打を放つなど67試合で14本塁打、規定打席不足ながらも打率2割9分とそれなりの成績を残した。しかし、このシーズンで8年ぶりに犠打を記録するなど、長嶋監督から全幅の信頼を置かれていないことも伝わってきました。翌年5月のヤクルト戦では、9回一打同点の場面で、代打を送られるなど原のプライドを傷つけるような起用もありました。結局この年限りで原は現役を引退しています」 このような経験がある原だからこそ、生え抜きの気持ちがわかるはず、だった。実際、監督就任1年目の2002年には斉藤宣之や鈴木尚広など長嶋政権化でくすぶっていた若手を抜擢。ベテランの桑田真澄を復活させるなど絶妙な采配が功を奏し、見事日本一に輝いた。「この年、巨人戦の視聴率が上向いた。優勝したこともあるが、生え抜き選手を上手く起用したことが大きく関係したと思います。原監督退任の翌2004年、小久保裕紀やタフィ・ローズなど他球団から来た選手ばかりの打線になると、視聴率は下落していった。優勝できなかったこともあるでしょうが、寄せ集めのチームより、自前で育てて勝つというドラマをファンは望んでいたとも捉えられる。 原監督の価値観を変えたのは、2度目の監督就任となった2006年でしょう。開幕ダッシュに成功したものの、交流戦で失速。8連敗を止めたかと思えば、10連敗。それをストップした直後に9連敗するなどチームの弱体化は明らかで、結果として4位に終わった。以降、生え抜きと移籍組関係なく、『実力至上主義』を打ち出し、『上手い選手はいらない。強い選手が欲しい』と口にするようになった」 原監督は翌2007年からの9年間で6度のリーグ優勝を果たした。そして、今年4年ぶりに巨人のユニフォームに袖を通すことになる。「原監督の現役時代を知る往年の巨人ファンからすれば、生え抜きを育てながら計7年で4度優勝した藤田元司監督を原監督に重ねながら見ていた部分もあった。原監督就任1年目のキャッチフレーズだった“ジャイアンツ愛”という言葉を、ファンはこそばがゆく感じながらも、どこか嬉しい気持ちで聞いていたと思います。しかし、今の原監督から“ジャイアンツ愛”という言葉は聞かれなくなった」 勝負の世界は勝てば官軍、負ければ賊軍といわれる。しかし、プロ野球はエンターテイメントでもある。ファンは勝利を求める一方で、現在の原監督に“ジャイアンツ愛”も求めているのかもしれない。
2019.03.11 15:28
本塁打数歴代4位の「ミスター赤ヘル」こと山本浩二もランクインせず(写真:時事通信フォト)
歴代プロ野球選手の人気投票、あの選手が上位に入らない理由
 12月24日、『プロ野球総選挙~レジェンド選手編~』(テレビ朝日系)が放送された。今回は、既に引退した選手のみで一番すごい選手を決めるという企画。球場に訪れていた野球ファンのみならず、プロ野球OBや監督、コーチ、現役選手にもアンケートを実施し、1万人の投票でランキング上位30人を決めた。 同番組に関して、野球担当記者はこう語る。「このような投票をすると、必ず『なぜあの選手は入ってないんだ』『恣意的に選んでいるのではないか』という意見が出てきますが、それはプロ野球が人気ある証拠です。ある程度の偏りは仕方ないですし、数十年前に活躍した選手よりも、どうしても記憶に新しい最近の選手を選んでしまう傾向がある」(以下同) 今回のベスト30のなかで、投手は10人。ベスト10に絞ると4名になる。4位の沢村栄治(巨人)、5位の野茂英雄(近鉄、ドジャースなど)、6位の金田正一(国鉄、巨人)、10位の黒田博樹(広島、ヤンキースなど)がランクインした。「日本人メジャーリーガーのパイオニアとなった野茂、空前絶後の400勝を挙げた金田は別格。黒田は日米通算勝利数では野茂を上回り、歴代1位の203勝。年俸20億円のメジャーよりも、5分の1の4億円で広島に復帰し、優勝を果たしたというストーリーが記憶に新しい。そのことも、加味されたのでしょう。沢村栄治は野球史を紐解くと、必ず出てくる名前なのでファンの記憶に残っている」 歴代勝利数ベスト20のなかで、今回の企画でランクインしたのは金田、山本昌(中日)、村田兆治(ロッテ)だけ。歴代2位の米田哲也(350勝)、3位の小山正明(320勝)などは選ばれなかった。「江夏豊(16位)、稲尾和久(14位)より星野仙一(12位)の順位が上だったのも意外でした。あくまで現役時代を対象に聞いているはずですが、アンケートの回答者の中には監督時代のイメージが強く残っている人もいたのでは。現役時代の成績は、星野146勝34セーブ、江夏206勝193セーブ、稲尾276勝です。逆に言えば、星野のインパクトはそれほど強かったという証明ですし、良い意味でメディア操縦術に長けていたとも言える」 ベスト30のうち野手が20名を数えた。ファンの記憶に残りやすいのは、毎試合出場する野手のようだ。「30名中13名が巨人在籍経験のある選手だった点も注目です。その中で投手は金田、桑田真澄(20位)、江川卓(21位)の3名だけ。毎試合のようにゴールデンタイムで視聴率20%を獲っていた時代の巨人のレギュラー野手の知名度、印象度が高い証拠でしょう」 ベスト3は1位・王貞治、2位・長嶋茂雄、3位・松井秀喜と、巨人の生え抜きが独占した。「この番組を通して、人は記憶、印象で物事を判断しがちだということも分かりました。当たり前のことですが、自分の知っている範囲でしか何かを語れない。今回のベスト30には、1960年代以前に引退した選手は沢村栄治、金田正一、川上哲治、稲尾和久の4名しか入りませんでした。当時のことを知る人が少なくなってきていますから、ある程度仕方のないことかもしれません。今回のような人気投票はあくまで主観にすぎないなのです。 しかし、プロ野球には記録という客観的なデータが残っている。これが素晴らしいところ。安打数歴代4位、本塁打数歴代3位の門田博光(2566安打、567本)、本塁打数歴代4位の山本浩二(536本)などは今回、ベスト30に入りませんでしたが、功績は決して色褪せない。逆説的になりますが、この番組によって、客観的な数字を残しておくことが、いかに大切かも分かりました。歴代のプロ野球記録員の功績といっていいでしょう」 思い入れのある選手は人それぞれ。84年に及ぶ歴史を誇るプロ野球の中で、人気投票をすれば順位に批判はつきもの。その中で、放送を決断したテレビ朝日にも拍手を送るべきだろう。
2019.03.11 15:33
FAは失敗が9割 行使後にキャリアハイ達成は86分の7
FAは失敗が9割 行使後にキャリアハイ達成は86分の7
「三顧の礼」で迎えられながら、期待された活躍ができない“FA組”は、これまで数多くいた──。メジャーリーグを参考に、日本球界にFA制度が導入されたのは1993年オフのことだ。以降、権利を行使して国内の球団に移籍した選手はのべ86人いる。プロ野球のデータに詳しいジャーナリストの広尾晃氏が解説する。「大枚をはたいて獲得しても、主力として活躍する期間は平均して2年程度。移籍前後の成績を比べると、移籍後にキャリアハイを記録した選手はたった7人しかいません。ほとんどの選手が成績を落とし、中にはまったく試合に出なかった選手もいた。数字で見ると、“FAの9割は失敗”と言っていい」 最多勝投手(1998年)を経験しながら、移籍後に1勝も挙げられずに引退した川崎憲次郎(2000年にヤクルト→中日)のような選手もいるだけに、広尾氏の分析は説得力を持つ。 そんなFA戦線に、今オフは西武の浅村栄斗(28)、炭谷銀二朗(31)、オリックスの西勇輝(28)、広島の丸佳浩(29)の4人が名乗りを上げた。クリーンナップを打つキャプテンとして17度目のリーグ優勝を果たした「山賊打線」を牽引した浅村が、先陣を切って楽天への移籍を表明したが、これだけ“失敗例”が多いと、来季以降もこれまで通りの輝きを維持できるのか、不安を覚えるファンは少なくないはずだ。 1994年オフにFA宣言し、ヤクルトから巨人に移籍した広澤克実氏は、1年目は全試合に出場し、107安打、20本塁打、72打点の成績を残したが、2年目はケガの影響で38試合の出場に留まった。広澤氏が振り返る。「成績が残せなかった原因ですか……。やはり、いい格好をしようとする“よそ行きの野球”をやっちゃダメということですかね。(当時監督だった)長嶋茂雄さんに誘っていただいたこともあり、“なんとか期待に応えなくては”という気持ちが強くなりすぎた。それと、移籍の前にヤクルトの球団社長と(年俸などの待遇面で)揉めていましたからね……。 なんとか巨人で活躍して見返してやろうという思いもあった。自分の力以上のものを出そうとして力んでしまっていたんだと思います。人間、120%の力を出そうとしても出るわけない。そうしようと意気込むほど凡打の山。あの頃の自分は、それがわからずに空回りばかりしていました」※週刊ポスト2018年12月7日号
2019.03.11 15:35
巨人の補強は場当たり的?かつては効果的な補強もあったが…
巨人の補強は場当たり的?かつては効果的な補強もあったが…
 球団ワーストタイ記録となる4年連続V逸を喫した巨人。今オフは例年以上に補強に熱心になっている様子が見て取れる。今季メジャーで20本塁打したビヤヌエバの獲得を発表し、オリックスとの交渉が決裂した中島裕之の入団も決定。さらにはFA宣言をした広島・丸佳浩、西武・炭谷銀仁朗の獲得を目指し、マリナーズ・岩隈久志やオリックス・金子千尋を狙っているとの情報もある。野球担当記者が話す。「優勝を逃しているわけですから、補強に躍起になるのは当然だと思います。ただ、何でもかんでも取ればいいというものではない。明確な意図があれば、巨人ファンも他球団のファンもある程度、納得するはず。巨人の補強は毎年、場当たり的に見えるから批判されるのではないでしょうか」(以下「」内同) 昨オフは中日で35本塁打を放ってホームラン王に輝いたゲレーロ、西武からFA宣言した野上亮磨を獲得。しかし、今季ゲレーロは2軍落ちも経験するなど15本塁打に留まり、野上も昨年の11勝から今年は4勝と結果を残せず、チームも3位に終わった。補強が上手くいったとは言えない。一体、巨人は何がマズいのだろうか。「プロ野球界でチーム編成の名人と言えば、根本陸夫さん(故人)が真っ先に挙がるでしょう。広島、西武、ダイエーの弱小時代に監督を務めて、編成にも携わった根本さんは、まず選手のお手本になる大ベテランを獲得しました。広島では山内一弘、西武では野村克也、山崎裕之、田淵幸一、ダイエーでは秋山幸二、工藤公康、石毛宏典などです。彼らが手本となり、刺激を受けた若手が成長。スカウティングの巧妙さもあって、のちに黄金時代を迎えた。根本さんには、今の巨人にはない明確な意図、ビジョンがありました」 かつて、巨人も大ベテランの効果的な補強で優勝を果たしたこともあった。FA制度導入元年の1993年オフ、長嶋茂雄監督は中日・落合博満の獲得を熱望。当時40歳という超ベテラン選手を迎え入れることにOBやファンからは反対の声が挙がったが、長嶋監督は落合のプロ野球選手としての姿勢が必ずチームにプラスになると考えていた。シーズンが始まると、一塁からマウンドに行って声を掛けるタイミングの良さなど、数字では計れない貢献もあった。その効果もあってか、巨人は5年ぶりの日本一に輝いた。 3年連続で優勝を逃した1999年オフには、ダイエーから翌年37歳を迎える工藤公康をFAで獲得。トレーニング法などを絶えず追求する工藤の姿勢は、チームメイトに刺激を与えた。マウンドでも先発の柱として12勝を挙げ、6年ぶりの日本一に導いた。「落合も工藤も、野球への探究心が並外れていた。落合は松井秀喜の成長に間違いなく影響を与えたし、工藤は自主トレに連れて行った育成上がりの山口鉄也を徹底的に鍛え、チームに欠かせないリリーバーに育てました。2人も野球のことを語らせたら、何時間でも喋っているタイプ。それほど知識が豊富で、理論を持っている」 今年、巨人が獲得を目指しているFA選手の来季の年齢は丸が30歳、炭谷が32歳。まだ中堅と言っていいだろう。「現在は選手寿命を伸びましたが、当時の落合や工藤は大ベテランだった。あの頃の巨人はマスコミの注目度が桁違いで戸惑いはあったはずだが、年齢を重ねていたし、ある程度マイペースで振る舞えた。また、自分の知恵を授ける余裕もあった。 仮に丸や炭谷が入団したとしても、精神的支柱になれるかは不透明。まずは自分のことで精一杯でしょう。数字上の戦力アップは間違いないが、FAで獲るなら本来は落合や工藤のような効果を期待したいところ。それなら、若手を育ててほしいと願うファンも納得行くのではないでしょうか」 そうは言っても、勝てば官軍。今オフのFA戦線、そして来季の結果はどうなるか。(文中一部敬称略)
2019.03.11 15:35
広島・丸FAで注目の「宣言残留」 ファンの声も大きな鍵に
広島・丸FAで注目の「宣言残留」 ファンの声も大きな鍵に
 FA宣言をした広島・丸佳浩の去就が注目されている。巨人とロッテが早々と獲得に名乗りを上げ、広島も「宣言残留」を容認する姿勢を見せている。過去に広島が宣言残留を認めたのは、黒田博樹、新井貴浩、大竹寛(現・巨人)の3選手のみで、いかに広島が丸残留を熱望しているかがわかる。広島をセ・リーグ3連覇に導いた立役者の1人の動向は今オフ最大の話題となっている。 FAするか注目されていた日本ハムの中田翔は宣言せずに3年契約を結ぶと報道され、西武の中村剛也は海外FA権を行使した上で残留を決めた。中村のように残留ありきのFA宣言は、制度導入2年目の1994年から何人もの選手が行なってきた。 しかし、国内球団への移籍可能性ありのFA宣言をした上で、最終的に残留した選手は過去25年でわずか5人しかいない(メジャーリーグ挑戦を志向した上で残留したケースは除く)。 FA制度導入元年の1993年オフには巨人の槙原寛己が権利を行使。宣言前、球団代表と来季の交渉を行ったものの、槙原の希望年俸1億2000万円に対して、球団は1億円の提示。毎年のようにトレード報道が出ていた槙原は複数年契約を要求するも、認められなかった。 交渉が物別れに終わったため、槙原は11月10日にFA申請用紙を郵送。すると、巨人は態度を軟化。最終的には、長嶋茂雄監督が花束を持って自宅を訪れ、槙原は残留を決意した。希望通りの年俸1億2000万円、功労金4000万円、3年の複数年契約を勝ち取った。野球担当記者が話す。「当時はドラフト終了後1週間まで所属球団との占有交渉期間とされ、その後所属球団を除く他球団との交渉が解禁されるルールとなっていたため、結局、槙原は獲得の意志を表明していた中日などとは交渉していない。しかし、巨人との話し合いが物別れに終われば、移籍していたでしょうから、槙原が宣言残留第1号です」 槙原は翌年には完全試合を達成し、12勝を挙げてチームの優勝に貢献。日本シリーズでは2つの完投勝利を挙げ、MVPに輝いた。 この後、ルールが変わり、所属チームと他球団が並行して交渉できるようになる。2002年オフには、前年近鉄を優勝に導き、この年も42本塁打、115打点と爆発した中村紀洋がFA宣言し、阪神や巨人、メジャー球団と交渉。ニューヨーク・メッツとの契約合意が報じられたが、最終的には近鉄に残留。この年には、阪神の桧山進次郎もFA宣言をしたが、他球団からのオファーはなく、結局残留している。 2003年オフには、阪神の下柳剛が「いろんな球団の評価を聞きたい」と国内のみならずメジャーリーグ挑戦も視野に入れてFA宣言。横浜が獲得に名乗りを上げ、下柳は交渉の席にも付いたが、メジャーからの具体的なオファーがなかったこともあり、阪神に残った。 中村紀洋は近鉄が2004年に消滅したことで、その後5球団を渡り歩くことになるが、桧山と下柳は阪神に引退するまで在籍。優勝も経験している。 2008年オフには、横浜の三浦大輔が球団の姿勢に疑問を抱いたこともあり、FA宣言。阪神移籍に心が揺れ動いたようだが、結果的にファンの残留を望む声にも背中を押され、横浜に残留した。「過去の例を見ると、宣言残留が成立した確率はわずかです。ただ、広島にはファンの熱意で残留させた例がある。2006年の最終戦、メジャー移籍か残留かで迷っていた黒田博樹に対して、ファンが広島市民球場のライトスタンドに〈我々は共に闘ってきた 今までもこれからも… 未来へ輝くその日まで 君が涙を流すなら 君の涙になってやる カープのエース 黒田博樹〉という横断幕を掲げた。これに心を動かされた、黒田はその年の残留を決意。翌年、ロサンゼルス・ドジャースに移籍しますが、2015年に古巣・広島に復帰。翌年にチームがリーグ優勝を果たしたことで、ファンと黒田の物語は感動を呼びました。 11月23日のファン感謝デーで、広島ファンがどれだけ丸に思いを伝えられるか。丸が残留するかどうかは、ファンの声に懸かっている面もある」(同前) 2008年、阪神移籍か横浜残留かで悩んだ三浦大輔は、ファン感謝デーで直に受けた声援によって『生涯横浜』を宣言。2016年の引退会見で、「ベイスターズファンに一言」と問われると、涙ぐみながら、言葉を絞り出した。「25年間、ご声援ありがとうござました。苦しい時、本当に助けられた。どんな時でも応援していただき、感謝しています」 FAの権利を勝ち取った丸の将来は、本人が決めるもの。ただ、ファンの残留を願う声も、選手の決断に大きな影響を与えるのも事実だろう。
2019.03.11 15:36
田中圭が雀荘通い 若手芸能人が麻雀にハマるメリットとは
田中圭が雀荘通い 若手芸能人が麻雀にハマるメリットとは
 主演した連続ドラマ『おっさんずラブ』(テレビ朝日系)が「2018 ユーキャン新語・流行語大賞」にノミネートされたほか、「東京ドラマアウォード2018」「ザテレビジョンドラマアカデミー賞」「2018年 今年の顔」「SUITS OF THE YEAR2018」など、あらゆる賞を総なめにし、まさに今が旬の俳優・田中圭。現在放送中のドラマ『獣になれない私たち』(日本テレビ系)では新垣結衣と共演して、ガッキーを振り回す彼氏役を演じており、女性人気は極めて高い。 そんな田中の意外な趣味が明らかになった。その趣味とは、画面で振りまく爽やかなイメージとはまったく無縁の「麻雀」。11月8日に配信されたNEWSポストセブンの記事では、田中が雀荘に出入りしている様子が報じられた。田中が麻雀を打っていたのは、居合わせた客同士で卓を囲む「フリー」と呼ばれる雀卓。フリーは腕に覚えがある者が好むタイプの卓で、記事では「常連になって腕を認めてもらえないと彼とは一戦交えられない」という雀荘の客の声も紹介している。 このニュースに対し、ネットには、「いくら少額でも違法は違法」「奥さんや子供の為にもグレーなことはしない方がいいと思うけど」「お金を賭けていたら逮捕だと思っていた。金額によって差があるのはおかしい」と、否定的な声が上がる一方、「高齢者と麻雀なんてむしろ好感度上がるだろ」「麻雀できるんやね。コミュ力も高そうだな」「お忙しいと思いますが、適度に息抜きしてがんばってください」といった感想が寄せられているが、芸能界の麻雀事情はどうなっているのか? ベテランの芸能ライター・石田春男氏はこう語る。「昭和の芸能界はとにかく麻雀好きだらけでした。俳優の長門裕之は自宅に麻雀専用の部屋を持っていて、『麻雀放浪記』で有名な阿佐田哲也らと徹夜麻雀に明け暮れていましたし、麻雀番組の『THEわれめDEポン』(BSフジ)への出演経験がある堺正章、加賀まりこ、風間杜夫、井上順、小柳ルミ子らの牌さばきは玄人はだしです。自転車旅ですっかりNHKの顔になった火野正平も、麻雀がメチャクチャ強いことで有名です。 近年で言うと、プロ雀士の資格を取ってプロリーグに参戦している萩原聖人はもはや俳優というより、麻雀のほうが本業のような状態ですし、和田アキ子や坂上忍も大の麻雀好きです。若手では、アンジャッシュの児嶋一哉や熊切あさ美はプロ資格を持っていますし、同じくプロ資格を持つモデルでタレントの岡田紗佳は先日、麻雀番組で役満のひとつである九蓮宝燈を上がりました。 より麻雀好きが多かったのはプロ野球です。野球界では、その昔に起きた『黒い霧事件』の影響で公営ギャンブルへの抵抗感が強く、昭和の野球選手は、麻雀に熱中していました。ON(王貞治と長嶋茂雄)も麻雀好きでしたし、江夏豊や落合博満はいかにも勝負師らしく、麻雀も強かったようです。昭和を代表する大投手などは、自宅を建てた際、『チームメイトからむしり取った金で家を建てた』と、陰口を叩かれたほどです」 しかし、将棋、麻雀、ゴルフぐらいしか遊びがなかった時代とは異なり、今はいくらでも遊びの種類がある時代。それでも、田中のような若手俳優が麻雀を好むのは、かなりのメリットがあると石田氏は語る。「これは芸能界に限った話ではありませんが、麻雀は4人必要なので、メンバー集めに苦労することもあります。例えば大物俳優から声を掛けられて、『いや、麻雀ができません』ならそれで話しは終わりですが、麻雀ができれば当然メンバーに誘われます。麻雀をやる時はあまり酒を飲みませんが、たった4人でかなりの時間をともに過ごすので急速に距離を縮めることができます。極端な例では、キャスティングの力を持つ大物芸能人から『アイツは麻雀ができるから現場に呼ぼう』と声がかかることさえあります。 しかも芸能界では裏方にも麻雀好きがたくさんいます。俳優にとって、プロデューサーなどのスタッフに好かれるというのは、仕事を得るうえでファンに好かれるのと同じぐらい大切なこと。あとは、麻雀は基本的に卓を囲む4人で完結するので、その4人が顔見知りなら裏社会につながるリスクがが低いと彼らが考えているというのも芸能界で好まれる理由の1つでしょう」『おっさんずラブ』では視聴者を魅了した田中だが、オフでは麻雀でおっさんたちと卓を囲むとは、根っからおっさんには縁があるようだ。
2019.03.11 15:36
中日1位指名の根尾昂 背番号「1」「3」が候補も本命は…
中日1位指名の根尾昂 背番号「1」「3」が候補も本命は…
 王貞治は「1」、長嶋茂雄は「3」、イチローは「51」、松井秀喜は「55」──プロ野球では、選手の「名前」と「背番号」がセットで記憶される例が数多くいる。 それだけに、各球団は活躍を期待する選手に何番を渡すかに頭を悩ませる。甲子園を沸かせた期待のルーキーの「プロ人生の第一歩」となればなおさらだ。 4球団の競合の末、大阪桐蔭・根尾昂(あきら)の交渉権を中日が引き当てた。竜ファンの間では、“二刀流・根尾”の入団後のポジションと同じくらい、何番を背負うかの話題で持ちきりだという。「岐阜県出身で、小学校6年時にドラゴンズジュニアに選ばれた根尾がつけたのは『1』。再び袖を通すことになった縁もありますし、今年のナンバー1選手という意味でも、『1』を推す声は多い」(担当記者) 根尾の英語表記「NEO」を入れ替えると「ONE」(=1)になるから、1がふさわしいと“論理的”に考えるファンまでいるという。ジャーナリストの広尾晃氏が解説する。「主力投手は10番台、レギュラー野手は1ケタを中心に20番前後まで、というのが背番号の慣例です。新入団選手に関しては、若い番号を与えることは期待の裏返しでもある」 根尾には、通算2480安打を放った立浪和義の「3」を背負ってほしいという期待もある。だが、「1」は友永翔太が、「3」は高橋周平が2015年からつけている。「成績が低迷し、心機一転変更することはあるが、“剥奪”の印象は拭えない。しかも、それを高卒ルーキーに渡すとなると、チームの雰囲気に影響しかねない。“単なる数字”と片付けられないデリケートな問題です。ショートでのデビュー後、内外野を守り、選手会長も務めた森野将彦(昨年限りで引退)の『7』が空いているので、そこに落ち着くのではないかと言われている」(同前) ちなみに森野は立浪の引退後に「3」を打診されたが固辞した経緯がある。 とはいえ、過去には背番号が重圧となってしまったケースも少なくない。 2008年のドラフト1位で巨人に入団し、右の大砲として期待された大田泰示はヤンキース移籍以来“準永久欠番”となっていた松井の「55」を引き継いだ。だがその番号を背負った5シーズンで放った本塁打はわずか2本だった(背番号44になってから7本)。2016年オフに日本ハムへとトレードに出され、背番号33となってからは2年で29本塁打と覚醒。“ゴジラ2世”の看板が重荷となってしまった格好だ。「大田の例は極端ですが、球団としては“こんな選手になってもらいたい”とメッセージを送る意味合いもある」(スポーツ紙記者)※週刊ポスト2018年11月16日号
2019.03.11 15:36
巨人・宮本和知コーチを若手選手は「ガングロおじさん」扱い
巨人・宮本和知コーチを若手選手は「ガングロおじさん」扱い
「選手はのびのびと野球を、目標を持って前に進んでもらいたい」「巨人軍は個人軍であってはならない」 10月23日、東京・大手町の読売新聞東京本社で開かれた就任会見で原辰徳・新監督はやや寒めのダジャレを交えながら、来季の“スローガン”を熱く語った。同席した高橋由伸・前監督が終始硬い表情だったのとは対照的に、「のびのび」という言葉を何度も繰り返した。長嶋茂雄終身名誉監督からの「ジャイアンツは、永遠でなければならない」との激励メッセージにも「自信に満ちた笑顔で耳を傾けていた」(出席した記者)という。 低迷による暗さを微塵も感じさせない“原カラー”を前面に押し出した会見だったが、前日、球団が発表した新コーチ陣の顔ぶれからすると「のびのび」という言葉は別の意味を持つ。「サプライズ人事」は宮本和知・投手総合コーチ、元木大介・内野守備兼打撃コーチの起用だった。巨人担当記者も驚きを隠せない。「宮本氏は現役引退後の22年間、コーチ経験が一度もない。指導者経験がある水野雄仁氏がその“部下”としてブルペンを担当するのだから、まさに異例の抜擢です。元木コーチも指導実績はこの夏に就任したU12世界少年野球の監督だけ。世界一になったといっても少年野球ですからね……」 原監督は会見で「特に一軍のスタッフは私自身が声を掛けた」と説明したが、現場からは2人への不安の声が早くも囁かれている。 その背景にあるのが、長年にわたる2人の「タレント活動」だ。宮本コーチは『ズームイン!!サタデー』(日本テレビ系)内のコーナー「プロ野球熱ケツ情報」を長年担当し、現役選手との関係は“良好”に映る。だが、2017年9月30日の放送で、流行の芸人を知らなかった宮本に対し、移籍したばかりの石川慎吾から「テレビに出ている人なんですから、テレビを見ないとダメですよ」とツッコまれるなど、現役選手から“尊敬する巨人OB”ではなく、“いじりやすいタレント”としての良好な関係でしかない。 元木コーチは、引退後、“おバカキャラ”でバラエティに進出し、俳優業、飲食店経営など球場外での活動が世間をにぎわせた。過去には週刊誌の対談で、巨人OBからそうした活動について苦言を呈されていることを明かしたが、〈僕は正直、ひがみだろうと思ってるんです。「あんた、(テレビに)出られないんでしょ」って〉と、気にする様子も見せなかった。 2人の現役時代に縁がない若手選手は困惑するばかりだ。「コーチとかウソでしょ? って思いましたもん。たしかに宮本さんはちょくちょく球場にお見えになりますが、『好きな食べ物』『好きな髪型』とか聞いてくるだけで、指導することはない。なかには『ガングロおじさん』とからかう選手もいるほど。元木さんに至っては球場よりバラエティで見るほうが多い。これからユニフォームを着て、指導するなんて実感が湧きません」※週刊ポスト2018年11月9日号
2019.03.11 15:37
巨人 桑田真澄氏や槙原寛己氏はなぜコーチになれないのか
巨人 桑田真澄氏や槙原寛己氏はなぜコーチになれないのか
 今シーズン限りで高橋由伸監督が退任し、来シーズンから原辰徳監督が復帰する読売ジャイアンツ。10月22日に新コーチ陣が発表されたが、注目を集めたのは、投手総合コーチの宮本和知氏、内野守備兼打撃コーチの元木大介氏の抜擢だ。ともに現役引退後、初のコーチ職となる。野球担当記者が話す。「元木氏は現役時代から“クセもの”と長嶋茂雄監督から呼ばれていたように、野球センスが高く、一度ユニフォーム姿を見たいという待望論があった。宮本氏は野球解説者というよりバラエティ色が強く、『ズームイン!!サタデー』(日本テレビ系)の人気コーナーである『プロ野球熱ケツ情報』を担当。投手コーチとしての手腕は未知数です」 宮本氏は1997年に引退しており、実に22年ぶりの現場復帰となる。ただ、巨人のコーチ人事に関しては、多くのファンが疑問に思っていることがある。 宮本氏より選手時代の実績があり、1990年代に斎藤雅樹氏とともに三本柱と呼ばれた槙原寛己氏や桑田真澄氏が、なぜ巨人のコーチに呼ばれないのかということだ。「槙原氏は1993年オフにFA宣言(結果は残留)したことで、巨人から移籍する意志を示したと球団に捉えられています。桑田氏は2006年シーズン中に自ら退団を発表し、原監督を困惑させた過去がある。巨人というチームでは、一度、自分から出ていくと戻ることは難しい。FAで巨人から横浜に移籍した駒田徳広氏も同様でしょう。同じFAでも、ヤンキースに渡った松井秀喜氏のような国民的スターになると話は別ですが……」 もちろん、例外もある。今季、2軍を優勝に導きながらも、実質的に解雇された川相昌弘・前2軍監督は2003年、引退を発表し翌年からの1軍コーチ就任することになっていた。しかし、原監督が突然辞任。2004年から、折り合いが良くないとされていた堀内恒夫監督が就任することもあり、川相氏の処遇が宙ぶらりんに。シビレを切らした川相氏は引退を撤回し、中日に移籍。2006年までプレーし、翌年から中日のコーチに就任している。 自分から巨人を出ていったのに、なぜ復帰できたのだろうか。「過去の経緯から、巨人は“貸し”があると判断した。そのため、2011年に巨人の2軍監督に就任できた。また、川相氏の場合、中日時代にコーチとして実績を残していたことも大きい。巨人が『返してくれ』と頼んだ形になったのではないでしょうか」 いずれにしても、来季の1軍のコーチングスタッフを見ると、全て現役時代を巨人で終えているという共通点がある。「自分の意志とは関係なくトレードされた選手のコーチ復帰は認められているようです。今季まで打撃担当の二岡智宏氏、原監督の第2次政権で内野守備走塁担当の勝呂壽統氏、来季2軍監督の高田誠氏などです。トレードに出されたからダメなわけではない。『自分から巨人を出ていった』と判断されると、復帰の道が険しくなるようです。 でも、その考え方はもう時代錯誤ですよ。西武の辻発彦監督はかつて西武と決裂してヤクルトに移籍しているし、ソフトバンクの工藤公康監督も前身のダイエーから巨人にFA移籍している。その2人は、古巣に戻って優勝監督になっている。過去にどうだったかではなく、未来に何をしてくれるかという視点からコーチを選ぶべきではないでしょうか」 勝てば官軍のプロ野球界。原監督率いる巨人は、来季以降結果を残すことができるか。
2019.03.11 15:37
松井秀喜氏はなぜ「巨人監督」を断り続けるのか
松井秀喜氏はなぜ「巨人監督」を断り続けるのか
 家族と暮らすニューヨークの自宅を拠点に、愛車のポルシェ・パナメーラを自ら運転。マイナーリーグのチームの練習に足を運んでは、選手の指導に精を出す──松井秀喜氏の毎日のルーティンは、来年も変わらないようだ。 高橋由伸監督の辞任に際してファンの期待感が高まった「松井秀喜・読売巨人軍監督」は原辰徳氏の3回目の監督就任により、今回も実現に至らなかった。松井氏の近況について、メジャーリーグに詳しい在米ジャーナリストが語る。「ヤンキースのGM特別アドバイザーとして、傘下の2Aや3Aのマイナー選手の打撃コーチとして汗を流す日々を送っています。シーズン中は選手同様休みがないし、オフ期間も選手個々が行なっている自主トレの視察に愛車で飛び回っている。 指導した各選手の評価、課題点などをレポートにしてキャッシュマンGMに報告しており、ヤンキー・スタジアムで行なわれる球団の幹部会にも出席しているほど。球団外でも、2015年にNPO法人を立ち上げ、日米で子ども向けの野球教室を開催している。近くニューヨークの学校で野球教室を開催する予定で、後輩育成に慈善事業と、多忙な日々を送っています。球団の送迎を断わり、愛車を運転することが松井さんに許された数少ない気分転換です」 日本のメディアの監視が及ばない米国で、現役さながらの野球漬けの日々を送る理由はなぜか。 その松井の機微が窺える発言が、9月23日放送の『プレミアムゴルフ』(テレビ東京系)であった。松井氏は同番組内で、日本球界への復帰についてこう語った。「今は向こう(米国内)で修行中の身。それをどこで生かすかまでは、まだ考えていない。でも、将来的には可能性はあると思う」 これまで日本球界復帰について明言したことはなく、昨年6月には日本のスポーツ番組で、「監督については本当に考えてない」と否定していた。「日本球界復帰となれば単身赴任生活になりますが、次男はまだ1歳。もう少し家族と過ごす時間が欲しいというのが本音のようです。とりわけ巨人軍の監督となれば、メジャー移籍時に確執が生まれたナベツネさんの存在が大きく、彼が退くまでは受諾しないと見られていました。なので、番組での彼の発言は驚きましたね……」(巨人番記者) この1年で起きていた松井氏の変化について、前出の在米ジャーナリストが語る。「打撃コーチとしてマイナー選手を見るなかで、指導者としての自信を付けてきたのは間違いない。松井氏が2Aで指導したアーロン・ジャッジが2017年にメジャー新人記録の52本塁打を記録するなど、その育成力はヤンキース幹部も認めています。確かな“手応え”が掴めてきたからこそ、『将来的な可能性はある』という発言に繋がった。今すぐではないが、いつかはやる。そんな意思の現われだと思います」 もうひとつ、松井氏の心を揺らす出来事があった。恩師である長嶋茂雄氏の入院だ。7月に緊急入院して以降、長嶋氏の容態を常に気にかけていたという。「日テレの地上波の巨人戦に解説者として出演したり、8月以降、読売グループと急接近しています。このところ日本でのイベントも多く、これも長嶋さんのことがあり、日本滞在の時間をあえて作っていると言われている。巨人軍の監督については、長嶋氏の言葉が鍵を握るだろう」 確固たる自信に、恩師の願い。この二つが重なった時、「松井監督」は初めて誕生する。※週刊ポスト2018年11月2日号
2019.03.11 15:37
巨人低迷、高橋監督を支えられなかったフロントの責任
巨人低迷、高橋監督を支えられなかったフロントの責任
 10月3日、巨人・高橋由伸監督の辞任が発表された。就任3年で一度も優勝争いに加われなかった責任を取って、自ら身を引くことを決断。山口寿一オーナーは、球団内のポストを用意する意志を明らかにした。しかし、過去に長嶋茂雄氏(巨人)や有藤通世氏(ロッテ)らが辛酸を舐めたように、成功するのは困難と予想された『現役引退即監督就任』を促した読売グループに、高橋監督はこのまま残るだろうか。野球担当記者が話す。「高橋監督が自ら申し出ての辞任ではありますが、球団は強く慰留したわけでもない。山口オーナーは9月12日に来季続投の意向を示していた割に、あっさりと受け入れた。もし同一監督で2年連続Bクラスになれば、巨人史上初。オーナー声明の時点で、Bクラスの可能性が十分残っていただけに、『解任したわけではない』という予防線を張っていたと見られています」 高橋監督の采配が冴えたとは言い難いが、フロントがお膳立てをできなかったことは明白だろう。「ゲレーロ、野上亮磨という選手補強がクローズアップされますが、それ以上にBクラスに転落した昨年オフにコーチ陣の入れ替えがほとんどなかったことは、もっと疑問視されるべき。高橋監督は兼任コーチの経験しかなかったにもかかわらず、引退後即監督就任となったわけですから、良い参謀役をつけるべきでした」 優勝を義務づけられた巨人では、Bクラスに転落した翌年に大幅なコーチ陣の入れ替えがあった。長嶋茂雄監督で初の最下位に転落した1975年オフには、中日と阪神で監督を歴任した杉下茂氏を投手コーチに迎え入れ、1976年に優勝。初の2年連続Bクラスに終わった2006年オフには、西武の黄金時代を三塁コーチャーとして支え、監督としても優勝に導いた伊原春樹氏を野手総合コーチとして招聘し、2007年に原辰徳監督が胴上げされた。 5位になった1979年オフには、阪神と阪急でコーチとしてチームを優勝に導いた経験のある青田昇氏をヘッドコーチに招いた。秋には『地獄の伊東キャンプ』を行ない、江川卓、西本聖、松本匡史、篠塚利夫、中畑清らが成長。来季の飛躍が期待された。しかし、青田氏は舌禍事件で辞任に追い込まれ、1980年は3位に終わって長嶋監督が解任された。 前年4位とBクラスだったにもかかわらず、コーチの入れ替えがほとんどなかった1998年は3位止まりだった。「歴史から学ぶことがいかに大事か。過去の結果を振り返れば、コーチ陣に劇薬を与えない限り、今季の低迷は予想通り。なぜ、吉村禎章氏を打撃総合コーチに招く以外、1軍と2軍のコーチを入れ替えるだけでほぼ無風状態にしたのか。フロントの責任が問われてしかるべきです」 高橋監督の辞任だけで済む問題ではないかもしれない。
2019.03.11 15:38
杉下茂氏・93歳 「高橋由伸監督は続投でいいと思う」
杉下茂氏・93歳 「高橋由伸監督は続投でいいと思う」
 巨人の監督になって3年、4年連続V逸という球団史上ワーストタイ記録をつくってしまった高橋由伸監督(43)への風当たりは強い。だが、コーチ陣は前任の原辰徳監督のときから留任したメンバーばかり、故障者続出という事情に、責任は問えないという声もあがっている。さらには、岡本和真(22)を4番に起用し続け、30本塁打の花を咲かせている。かつて巨人に立ちはだかったライバルたちの中にも、“擁護派”は多い。 元祖“フォークボールの神様”としてON(王貞治・長嶋茂雄)を相手に対巨人戦勝利数歴代5位の38勝を挙げた杉下茂氏(93)は、巨人で投手コーチを務めた経験もある。「巨人は生え抜き監督がほしいし、スター選手だった高橋監督を何とか一人前にしたいんでしょう。選手の入れ替えには最低でも3年はかかるんだし、若手の育成がやっと実り始めた。僕は続投でいいと思います」 ロッテ、西武のパ・リーグ20年で2081安打を放った山崎裕之氏(71)も「経験のない監督が優勝するには、戦力的に厳しかった。このままCSに進出できれば、よくやったと言えるんじゃないか。巨人としては生え抜き監督に、簡単には失格の烙印を押して更迭できないということでしょう」と同情しきりだった。 歴代2位の通算350勝を誇る阪急の元エース・米田哲也氏(80)が言い切る。「金本阪神のように、若い選手を使うと言いながら結果が出ないとすぐにファームに送り返すということもある。そう考えると、高橋監督は4番として岡本を育てただけでも立派のひと言。高橋監督の前に、クビにしないといけない監督は他にたくさんおりますよ」 中日OBで、1998年には横浜を率いて日本一に輝いた権藤博氏(79)は、「もう巨人以外で監督をすることはないのだろうから、腹を据えてやるしかない。それだけ」と力を込めた。※週刊ポスト2018年10月5日号
2019.03.11 15:38
広岡達朗氏「高橋監督は私のアドバイスをやろうとしない」
広岡達朗氏「高橋監督は私のアドバイスをやろうとしない」
 球団の“顔”である以上、プロ野球の監督は常に、結果に対して責任を負うことが求められる。現役引退後、即巨人の監督になって3年──今では「不名誉な記録コレクター」とまで揶揄される高橋由伸監督(43)は、来年もまた巨人のユニフォームに袖を通すべきなのか。 エース・菅野智之(28)をマウンドに送り出した試合で、打線は散発3安打の1得点──9月15日、巨人はDeNAに1対3で敗れ、リーグ優勝の可能性が消えた。 4年連続V逸は球団史上ワーストタイ。高橋由伸監督は、今季が3年契約の3年目。だが、優勝を逃す3日前、巨人の山口寿一オーナーは「来季も腕を振るってもらいたい」と続投を示唆した。「解任が囁かれていただけに衝撃でした。岡本和真(22)ら若手の成長が評価されたようですが、優勝が消えた上、CS進出を逃す可能性もある。早い段階での続投オファーに疑問の声は根強い」(巨人軍関係者) 続投要請に厳しい声をあげたのは、巨人の栄光の時代を知る大物OBたちだ。「高橋監督は3年間でまったく成長していません」 そう断じたのは、広岡達朗氏(86)。現役時代は名遊撃手として活躍し、巨人を引退後は、低迷するヤクルトや西武を日本一に導いた名将だ。「巨人ではリーグ優勝が当たり前、日本一になって初めて褒められる。高橋監督はもう一度、野球とは何かを勉強し直した方がいい。監督1年目のオフに私の経験をもとに直接アドバイスもしたが、全くやろうとしない。岡本をスラッガーに育てたというが、若手を何人成長させようと、巨人では優勝をしないと意味がありません」 V9時代、長嶋茂雄氏と三遊間を組んだ黒江透修(ゆきのぶ)氏(79)も顔をしかめた。「続投なんて、球団が何を考えているのかわからないよ。今の巨人には作戦も何もないじゃないか。サインだってバントぐらい。そんな野球で勝てるわけがない。若手が成長したというけど、中堅以上の選手が働かないから、若手を使うしかなかっただけですよ」 巨人の第61代4番・広澤克実氏(56)も交代を進言。それは高橋監督の「次のチャンス」のためだという。「野球の技術は試合でしか覚えられないが、マネジメントはユニフォームを脱いでから学ぶことが多い。監督にはデータや相性といった経験の他に、根拠のない勝負勘が必要で、それが高橋監督に最も足りない。それを養うためにも、一度客観的に野球を見たほうがいい。若いんだから再登板のチャンスはある」※週刊ポスト2018年10月5日号
2019.03.11 15:38
巨人・高橋由伸監督は続投か解任か ON監督退任時との比較
巨人・高橋由伸監督は続投か解任か ON監督退任時との比較
 球界の盟主・巨人が43年ぶり史上2度目となる最下位の可能性まで出てきた。──9月19日のDeNA戦では序盤3回までに4点を奪われ、打線も東克樹の前に沈黙。7回2死まで1人のランナーも出せず、マギーの本塁打で完封を免れるのがやっと。ルーキー左腕に、今季5戦5敗という屈辱を味わうことになった。この惨敗に高橋由伸監督は就任以来、初となる試合後の記者会見を拒否。3位は辛うじて保っているものの、最下位・阪神とは1.5ゲーム差(記録は19日まで。以下同)。尻に火がついてきた状態だ。 山口寿一オーナーは9月12日、高橋監督の来季続投の意向を示している。だが、その日からチームは1勝5敗1分と急失速している。野球担当記者が語る。「シーズン終了前の“オーナーの意向”は当てにならない。1980年、長嶋茂雄監督はAクラス確保なら留任が既定路線でしたが、最終戦で3位を確定させたにもかかわらず、翌日に解任が発表された。優勝を逃した1988年の王貞治監督は、9月下旬に読売系列の報知新聞が一面で来季の続投を伝えたものの、結果的には契約満了という名の解任となりました。最下位に沈めば、高橋監督は辞表を提出するでしょう」(以下同) 優勝を宿命づけられてきた巨人において、4年連続V逸は球団史上2度目。もし今季4位以下で終わることとなれば、同一監督の2年連続Bクラスは初の出来事となる。「ここ3年、優勝争いすらしていない巨人には勝負強さを失っている。昨年もシーズン後半、DeNAとのAクラス争いで有利と見られながら、競り負けた。ベテランの経験も活かせず、若手の勢いもない。リリーフ陣は不安定ですし、起爆剤となるような選手も見当たらない。このままBクラス、最下位に落ちても不思議ではない」 今季のV逸は既に確定しており、同一監督で3年連続優勝を逃したのは長嶋茂雄氏、王貞治氏に続き、3人目となる。 長嶋氏は1978年2位、1979年5位、1980年3位で解任。王氏は就任1年目の1984年から2年連続3位が続き、1986年は優勝の広島にわずか3厘勝率が及ばす、2位に。ただし5年契約だったこともありそのまま続投し、翌1987年に優勝を果たした。「長嶋監督は2次政権でも1997年4位、1998年3位、1999年2位を経験している。1998年の時点で、長嶋氏の退任と森祇晶氏の監督就任が確実視されていたが、一度目の解任の時に読売新聞が部数を大幅に落としたトラウマもあって、結局絶大な人気を誇る長嶋監督は留任となった経緯があります。 高橋監督の3年間は2016年2位、2017年4位、そして今年ですが、2人と違って一度も優勝争いをしていない。その点を考えれば、最近3年は、巨人史上最も盛り上がっていないと判断できる」 高橋監督には、今季の岡本和真の台頭を理由に若手育成を評価する声もあり、チーム過渡期を預かっている辛さに同情する余地もある。 だが、1980年の解任時の長嶋監督は松本匡史や篠塚利夫、中畑清、山倉和博を育ててながら3位を確保し、1988年の解任時の王監督はウォーレン・クロマティ、吉村禎章というクリーンアップをケガで欠いた中での戦いで2位に留まった。 国民的スターだった2人と比べて、高橋監督を取り巻く空気は平穏に思える。「昔のような人気がなくなった証拠でしょう。毎日テレビ中継で視聴率20%を稼いでいた時代に、今の野球をしていたら数字がガタ落ちしていたはず。高橋監督は、巨人人気が落ちてきたことで助かっている面もある。また、球団にもファンにも、急遽現役を引退させ、監督に就任させてしまったという負い目がある。 だからといって、勝てていないことは事実。1980年の長嶋監督はラスト10試合を8勝2敗で乗り切り、3位になった。希望が見えた上での解任だったので、世論の反発もあった。高橋監督が残り試合でAクラスを確保できなければ、来季のVなんて夢のまた夢でしょう」 後任には、前監督の原辰徳氏や前DeNA監督の中畑清氏などの名前が挙がっている。「今の巨人は落合博満氏を据えるくらいの抜本的な改革を行なわない限り、来季の優勝は望めない。FAで巨人に良い選手が来る時代でもなくなったし、補強の効果ですぐ優勝できるとは思えない。体質を変えないと低迷から抜け出せない」 数週間後、どんな結論が出ているのか。
2019.03.11 15:39
巨人次期監督候補に浮上、中畑清氏と原辰徳氏 37年間の因縁
巨人次期監督候補に浮上、中畑清氏と原辰徳氏 37年間の因縁
 日本シリーズ出場の可能性を残してはいるものの、ひどい負け方が続く読売巨人軍。高橋由伸・監督(43)の責任論に火がつき、次は誰か……名前が挙がったのは絶不調のチーム立て直しにはうってつけの「絶好調男」中畑清・前DeNA監督(64)だった。しかし、「中畑監督就任」は一筋縄ではいかないとの見方もある。 実は中畑氏に白羽の矢が立つのは今回が初めてではない。2004年10月、3位に終わった堀内恒夫監督(70)の続投が決まった翌日に、系列紙であるスポーツ報知が「中畑氏への助監督要請」を報じている。「報知が報じたことから、この人事は前オーナー・渡辺恒雄氏や当時の滝鼻卓雄・オーナーの意向だったとみられている。しかし、中畑氏は辞退した。フロントは“断わられることはない”と思っていただけに、赤っ恥をかかされ、それから中畑氏の招聘は永遠になくなったと見られていた」(スポーツ紙デスク) また、原辰徳・前監督(60)の“3度目の登板”を推す声も依然強い。8月中旬に開催されたゴルフのシニアツアー「ファンケルクラシック」に参加した原氏は、「野球界にしっかり目を向ける。僕が(ゴルフツアーに)出ることはもうないと思う」と語ったことが報じられた。 由伸巨人がBクラス落ち危機にある中でその言葉を聞いた記者たちの中には、「もう一度、巨人監督を引き受ける意志を表明した」と受け止めた者も多かった。 巨人入団時の打撃コーチだった縁から松井秀喜氏(44)との距離が近く、「松井」というカードを持つ中畑氏、監督として文句のつけようのない実績を誇る原氏。2人の“因縁”は、オールド巨人ファンにはある種の感慨とともに受け止められる。 大学球界で強打のサードとして鳴らした原が1981年に入団した時、三塁には中畑がいた。どちらをレギュラーにするかで当時の藤田元司・監督(故人)は悩みに悩み、最終的に原はセカンドにコンバートされて開幕を迎える。ところが5月に中畑が負傷。そこから原はサードを任せられ、中畑は復帰後ファーストにコンバートされた。師と慕う長嶋茂雄氏の“聖地”を後輩に奪われ、それから10年以上「サード・原」の時代が続いた。 その後も「エリート四番打者」として原が育てられたのに対し、中畑は「チャンスに強い絶好調男」。対照的なキャラクターで選手人生を終えた。巨人OBが語る。「巨人監督の条件とされる“スター選手”という定義は明確ではないが、“エースか四番”という見方が妥当。その意味では四番を長く務めた(1066試合)原は早くから監督になることが約束されており、“代理の四番(219試合)”だった中畑は、指導者としては原の“陰”に置かれざるを得なかったのかもしれない」※週刊ポスト2018年9月14日号
2019.03.11 15:39

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