「当時の人気歌番組『ザ・ベストテン』(TBS系)の最多ランクイン数は田原俊彦の247回。ベストテンのスタジオには、田原専用の青いソファーが作られたほどです。番組終了後の1990年代以降、歌のヒットを現す指標は主にオリコンになりましたが、1980年代は高視聴率番組『ザ・ベストテン』のランキングが話題の中心でしたから、その中での1位はまさに1980年代のナンバーワンといっていい」
それまでの歌番組はプロデューサーが主導して出演者を選んでいたが、1978年開始の『ザ・ベストテン』は視聴者の意向を反映するため、レコード売り上げ、ハガキリクエスト、ラジオチャート、有線放送の4部門を元にコンピューターで客観的に順位を弾き出した。総合チャートのため、各部門で高順位につけないとランクインできなかったのである。
「1980年代前半の男性アイドル界はまだ今のように“ジャニーズ1強”ではなく、他事務所も沖田浩之や竹本孝之などの有望株を輩出していた。しかし、彼らは田原俊彦と近藤真彦の人気を超えられなかった。野村義男を含めた『たのきんトリオ』が、今のジャニーズ事務所の礎を築いた」(同前)
今まで『ザ・ベストテン』のランクイン記録は公式本などで明らかになっていたが、岡野氏は『田原俊彦論』の中で、初公開と思われる“歌手の年別ランクイン数”を調べた。それにより、ある記録に気付いたという。
「最多ランクインの他に、田原俊彦がもう1つの記録保持者であることも判明しました。番組放送12年のうち、10年間(1980~1989年)ランクイン。これは近藤真彦と並んでトップです。3位は9年のサザンオールスターズ。4位タイで西城秀樹、五木ひろし、松田聖子、薬師丸ひろ子、中森明菜、小泉今日子の6人が並んでいます。薬師丸は通算ランクイン回数では30位タイ(55回。1986、1988年は各1回のみ)ですが、年数という単位で見ると順位が一気に上がります」
1970年代後半に低迷したジャニーズ事務所を救った田原と近藤がいかに息の長いアイドルだったかよくわかるデータだ。