岡野氏によれば、田原は1989年1月26日放送の『ザ・ベストテン』で司会の黒柳徹子、渡辺正行から最多ランクイン記録について触れられると、こう話したという。
〈田原:ただ単にタイムリーだったっていうか、長いんですよね。
渡辺:名前をトシちゃんとかお呼びできませんね。田原先生、田原さま。業界では田原亭なんてのもありますけどもね。
黒柳:トウちゃんとか。トシちゃんだから。
田原:なんで(笑)
黒柳:あなたは私たちからなんて呼ばれれば?
渡辺:なんてお呼びしたらいいですかね。
田原:そうですね、僕は別になんでもいいと思ってるんですけどね。呼びやすいように呼んで頂ければ。まあ一応、とりあえずは(カメラ目線で)『彦さま』みたいなのがいいですね。
黒柳:大久保彦左衛門(笑)
田原:(手を叩いて)パン! 彦さま! みたいな。ウソウソ、ジョークです(笑)。〉
『ザ・ベストテン』は1978年から1989年まで放送されたため、1980年デビューの田原は他の歌手と比べて、たしかに有利な面もあったかもしれない。しかし、アイドルが2~3年も人気を保てば大成功だった時代に、10年以上もヒット曲を出し続けたことは異例中の異例。『ザ・ベストテン』の最多ランクイン、最多ランクイン年数に輝いた田原俊彦の偉業が色褪せることはないだろう。