戦後は財閥解体で縮小したが、リコーや協和発酵キリンなど、その流れを汲む企業は多く、同時に湯川秀樹や朝永振一郎など、多くのノーベル賞受賞者を生んだ。
一方、研究に付随して次々と工場建設が計画され、若き田中角栄も大河内の知遇を得てその後の基盤をここ理研で築いたことはあまり知られていない。また、戦時中は日本初の加速器サイクロトロンを開発した仁科芳雄が旧陸軍の依頼で原爆の研究に関わる一方、戦後になるとペニシリン生産などの会社を立ち上げるなど、理研の活動は多岐に及んだ。
ノーベル化学賞受賞者の野依良治博士が2003年に理事長に就任し、独立行政法人として歩み出してからは、450億円を投じた重イオン加速器施設「RIビームファクトリー」や1111億円をかけたスパコン「京」、X線自由電子レーザー「SACLA」など、世界最高水準の研究基盤を運用。4月からは「京」の100倍の性能を持つスパコンの開発が始まる。
写真で紹介しているのは、環境資源科学研究センター/酵素研究チーム。チームリーダー沼田圭司氏(33)は、植物からプラスチックを作り出す研究に取り組む。4月からは海洋光合成細菌を使った研究も始まるが、平均年齢32歳の若きメンバー12人が支えている。
こうした厳しくも最高の環境の中で多くの若き研究者が日夜研究に取り組んでいる。そして彼らが生み出す「世界初」の発明や発見が我々を歓喜させ、科学技術立国ニッポンを支えているのである。
撮影■二石友希
※週刊ポスト2014年3月14日号