先述した自己愛性パーソナリティ障害や〈演技性パーソナリティ障害〉等々、本書では過剰な自己演出によって自己愛の不全を埋めようとする心理のからくりを、まずは医学的・客観的に検証する。
その過程では〈「自己効力感」を持てあます人〉、〈「役に立ちたい」は「認めてもらいたい」〉など他人事で済まされない指摘も多く、氏自身〈感動ビジネス〉に群がった一人だと、佐村河内氏のコンサートに自らチケットを買って出かけた過去を明かすのだ。
「つまり全聾の作曲家という彼の〈ライフヒストリー〉に興味を持った私も立派な共犯で、涙や感動を商品にし、〈感動創造研究所〉なる機関まである社会こそ問題だろうと。今はアメリカでもCEOには波瀾の物語が求められるらしく、『劇的な自分』でなければ生きる意味がないとすら思い詰める彼らは、〈感動消費市場〉の犠牲者とも言えます」
ヘイトスピーチの醜悪さに違和感を抱き、「SNSはやらない(やれない?)」と胸を張る諸兄も油断は禁物だ。LINE等の短いやり取りを日常とし、〈悪の外在化〉や〈陰謀論〉といったシンプルな理屈に納得したがるのは何も若者に限らず、安倍首相や橋下徹市長ら政治家も含めた知性の劣化が、今や安全保障をも脅かしていると氏は危惧する。
面白いのは『鬼平犯科帳』「明神の次郎吉」を引いた例だ。盗みに入る道すがら人助けをした盗賊を巡って、〈人間とは、妙な生きものよ〉と悪事と善事を同時に行なう複雑さに鬼平が感じ入る場面の滋味が、今では人々に伝わらないと言う。
「悪人は単純にただ悪いだけ、と考える方が楽なんでしょうね。今回扱った事件でも擁護派か反対派かだけを問う双方向企画が盛んですが、むしろ本当のことはグレー部分にある気が私はする。ところが今や曖昧さ中庸さは悉(ことごと)く排除され、どんなに考えても答えのない複雑なことを、日本人は考えなくなった」