1985年に男女雇用機会均等法が成立すると、女子アナの採用、番組出演はさらに増える。1988年にはフジテレビの新人だった有賀さつき、河野景子、八木亜希子が「花の三人娘」としていきなり売り出され、2年目の中井美穂が『プロ野球ニュース』のメインキャスターに抜擢された。
「女子アナ」という鉱脈を見いだしたフジテレビは、1982年から12年連続で年間視聴率三冠王に輝き、黄金時代を迎えた。
フジテレビの大成功を目の当たりにした日本テレビは開局40周年の1993年、永井美奈子、米森麻美、藪本雅子の局アナユニット「DORA」を結成しCDをリリース。同年の全日帯(6~24時)の視聴率でフジに並び、1994年はトップに躍り出た。
他局でも多ジャンルに女子アナが進出していき、そのトレンドはNHKにまで広がった。久保純子はNHKでは異例の早さの3年目で東京アナウンス室に配属され、ニュース番組でスポーツなどを担当。国民的人気を博し、1998年に26歳の若さで『紅白歌合戦』の司会に抜擢された。
「1990年代の特徴は女子アナという職業が広く認知されるようになり、現在のようなブランド力を持った職種になったことでしょう」(稲増教授)
かつて女人禁制だったスポーツの取材現場に女子アナが訪れるのも、当たり前となった。1990年代、スポーツを担当した福島弓子、木佐彩子、柴田倫世らはのちのメジャーリーガーと結婚。大学生にとっても女子アナは憧れの職業となり、採用試験では3000倍以上の競争力を勝ち抜かねばならなくなっていく。
2000年代に入ると、平井理央などタレント活動していた女子大生が続々と入社。「アイドルが女子アナになる」という逆転現象が見られるようになった。
「1990年代までは局が新人を一から育て上げるという方針だったため、変に色の付いた子は敬遠された。ところが、視聴率争いを勝ち抜く即戦力が必要とされるようになったのです」(稲増教授)
ミスキャンパスも続々と入社する。ミス慶應大学に選ばれた中野美奈子は「日本テレビではミス慶應といわず面接で落ちたので、フジテレビでは前面に押し出した」と採用試験を振り返っている。かくして女子アナのタレント化は加速していく。(文中敬称略)
※週刊ポスト2015年5月22日号