今も思うのですが、できれば再試合ではなく、決着がつくまで何回でも投げさせてもらいたかった。延長になってからのほうが調子が上がっていたんです。疲れ切って力が抜けた分ボールが伸びていた。結局、あれ以上のピッチングはプロに入ってからもできませんでした。
最近、甲子園でのタイブレーク方式(延長に入った規定の回で同点の場合、次回以降は得点が入りやすいように走者を置いた状態から攻撃を始める制度)の導入を検討しているというが、私は反対です。野球に青春の全てをぶつけてきた選手が、最後にタイブレークで決着がつくことに納得すると思いますか。
私は18回を投げた翌日は、背中に鉄板が入っているように感じて布団から出るのも辛かったが、マウンドに上がりたくないとは微塵も思わなかった。選手がボロボロになるまで死力を尽くして戦うから、甲子園は感動を生むのではないでしょうか。
●太田幸司(おおた・こうじ):1952年、青森県生まれ。1968年夏、1969年春・夏と3大会連続で甲子園出場。1969年夏は松山商と決勝での延長再試合の死闘を繰り広げる。プロでは近鉄、巨人、阪神で活躍。
※週刊ポスト2015年8月14日号