忘れられない試合も、同級生との一戦だった。2013年5月の交流戦での巨人戦は、古巣との対決であることに加え、同じ鹿児島県の高校に通い、当時からライバルだった杉内俊哉投手と投げ合った。
「トレードで入団したのにホームの札幌ドームで勝てず、ファンやチームに受け入れられていないと感じていたので、この試合は絶対に勝ちたかったんです。しかも相手は同級生の杉内投手。高校3年の時、夏の県大会決勝で彼の高校(鹿児島実業)に負けていました。それ以来の対戦で、試合前からメチャクチャ緊張していました。
結果、7回1失点の僕に勝ち星が付いた。ヒーローインタビューを受けている時、“あぁ、勝ててよかった”と本気で思えた。この試合は一生忘れない」
苦い記憶もある。ルーキーイヤーのオープン戦で結果を出し、原辰徳監督から「オープン戦のMVPは木佐貫だ」と絶賛されて挑んだ公式戦初登板(対中日)だ。
「1回1/3を投げて5失点で降板。ボコボコに打たれました。その時、プロのバッターはオープン戦では本気を出していない、ということを思い知らされた。糠喜びでした。この試合は今でも夢に見ます」
●木佐貫洋(きさぬき・ひろし)/1980年鹿児島県生まれ。2002年、亜細亜大学から読売ジャイアンツに自由獲得枠で入団。2003年に新人王を獲得するなど活躍。その後、オリックスから日本ハムへと移籍。通算成績は215試合に登板、62勝72敗10セーブ、防御率3.76。
※週刊ポスト2015年10月16・23日号