「その後、河内元組長の下にいた組織の幹部が神戸山口組に走ったんです。ちょうどいい潮時と思って、カタギになろうとしていた若い衆もいたそうですが、彼らはこちらの倉心会に合流することになった。つまり、神戸側と六代目側に分かれることになり、自分が身を引いても問題は解決しなかった」
倉心会とは倉本組から分裂した組織である。倉本組は初代組長が亡くなった後、跡目を巡って内部闘争が勃発し、貴広会と倉心会に分裂した。貴広会側はその後、倉本組を名乗ることを許され、跡目となったのが河内元組長だった。山口組は二つの倉本組系列を、どちらも直参組織に取り立てることで混乱を終息させた。河内元組長は、山口組分裂の前から、自らも分裂劇を体験していたのだ。
「事情を知らない人間から陰で裏切り者と罵られ、ずいぶん気に病んでいたらしい」
とある関係者は言う。山口組から詰められたのか、神戸側に非難されたのか、そのあたりは判然としない。いったんは神戸入りを決めたが、説得によって撤回したという可能性もある。山口組から離脱した神戸側から、裏切り者の汚名を着せられたのかもしれない。
「自分の命で決着を付けた。男らしい結末」(独立団体幹部)
自殺を選んだ河内元組長に、おおむね好意的なのが、暴力団というものである。組織が分裂し、自殺者が出るのは珍しくない。2006年から足かけ8年続き、一般人を含む14人の死者を出した九州・道仁会の分裂抗争でも、最初の犠牲者は両者の間に挟まれ苦しんだ結果、自殺を選んだ玉名(熊本県)の組長だった。
大組織になればなるほど、対立軸とは無関係な人間が増える。憎しみを強制され、無理矢理踏み絵を踏まされる。抗争が勃発せず、にらみ合いを続ければ、これからも自殺者が出るだろう。
※週刊ポスト2015年11月13日号