同時に英国のアングロ・イラニアン社(現BP社)は積み荷の所有権を主張し東京地裁に差し押さえを求めた。それを受けて出光は乗組員に語っている。
「敗戦の癒えぬ日本は正義の主張さえ遠慮がちであるが、(中略)この問題が提訴されたことは、天下にわれわれの主張を表する機会を与えられたわけで、むしろ悦ばなければならない」
結果、法廷闘争は出光側の全面勝利に終わった。この「日章丸事件」ほど、敗戦で自信を失っていた日本人の心を奮い立たせた出来事はないだろう。また、イラン国民にとっても日章丸は救国の船であり、今も続くイランの親日感情の土台はこの時築かれたのである。外交不在に等しい時代に一商人が成し遂げた、民間外交の勝利であった。
こうした成功をもたらした出光の国際感覚は、やはり彼が徹底して「日本人」というアイデンティティを失わなかった結果培われたものだろう。
人間を大切にし、技術や美徳を次世代に受けついでゆく文化。人間尊重、そして大家族主義。それらの理念は口先だけではなく、例えば敗戦直後に国外の拠点をすべて失った時も、1006名の社員の誰ひとりとして解雇しなかった事実にも裏付けられている。確固たる日本人としてのアイデンティティがあればこそ、日本人は外国と堂々と渡り合えるのである。
「日本人にかえれ」。この一言こそが、出光の思想を余すところなく表現している。
※SAPIO2015年12月号