科学の論文では、言葉を一義的(一つの言葉が唯一つの意味を持つよう)に定義して使います。だから言葉の解釈はありえません。非科学(科学に非ざる)領域では、特に古典研究では、古い言葉を解釈する必要があります。古典に譬喩が多いのは、解釈(追体験)を補助するためです。
空海の著作『吽字義』は、「吽」という秘密の一字を解釈した論説です。梵字の「吽」という文字は「ア・ハ・ウ・マ」という4つの部分に分解可能です。今回紹介するのは、「ア」の解釈にある「阿字本不生」です。
ここで空海は、先に挙げたソクラテスの言葉と似た話を書いています。生死の苦とは「無知な絵師が恐ろしい夜叉を描き、自分でその絵を見て恐怖のあまり卒倒する」ようなものだというのです。
ヨーガで自己観察を行ない、その知恵の完成を「実の如く自心を知る」といいます。それは、あたかも「ア」という音があらゆる文字の始まりであるように、あらゆる物事の源を観ることなのです。それは「これではない」という「否定」でしか表現できません。梵
語の「ア」は否定の接頭語で「無・不・非」などの意味です。ギリシャ語でも「ア」は否定を意味し、例えば「アトム(切れない)」(日本語では原子と訳された)です。プラトンも自己は「他」であると言い、「他」は「他」自身に対しても他であると表現しています。
自己執着を捨てた理想の存在、それこそが本来の自己であり「阿字本不生」と表現されます。
●たなか・まさひろ/1946年、栃木県益子町の西明寺に生まれる。東京慈恵医科大学卒業後、国立がんセンターで研究所室長・病院内科医として勤務。 1990年に西明寺境内に入院・緩和ケアも行なう普門院診療所を建設、内科医、僧侶として患者と向き合う。2014年10月に最も進んだステージのすい臓 がんが発見され、余命数か月と自覚している。
※週刊ポスト2016年11月11日号