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2016.11.12 07:00  SAPIO

里見まさと 亀山房代の死と新生ザ・ぼんちを語る

ザ・ぼんちの里見まさと

 ノンフィクション作家・上原善広氏が、かつて漫才ブームで頂点を極めた後に解散、そして復活した漫才コンビ「ザ・ぼんち」の里見まさと(64)の人生に迫った。

 * * *
 里見まさとは1952年、兵庫県姫路市に生まれた。

「ほんまはプロ野球選手になりたくてね、少年の頃からずっと野球ばっかり。だけど高校になるともう、こらレベルが違うなと思い知らされました。かといってサラリーマンになって決まったレールに乗るのも嫌。そんなときに読んだ週刊誌で、西川きよしさんが『二十歳で家建てた』っていう記事を偶然読んで、こら漫才しかないなあ思て」

 やすきよ漫才が、まだ全国区でない若手の頃の話だ。これなら自分でもいけるのではないかと高校卒業後の1971年、18歳でタイヘイトリオに弟子入り、お笑いの世界に飛び込んだ。師匠には「まあ、いつまでつづくかわからへんけど、明日から来てみいな」と言われた。

 当時の楽屋はまだしきたりなどが厳しく、吉本の若手漫才師も四人しかいないような時代だ。しかし師匠の「弟子としてついている間は機転の利く子がええ弟子。でも年季があけて舞台に出るようになったら、よう売れるのがええ弟子」という方針もあり、早く舞台に立てるようにしてくれた。そして週一回通っていた漫才師養成所で、高校の同級生だったおさむと再会。1972年11月にコンビを結成。翌年には「ザ・ぼんち」として舞台に立つことになる。

 ザ・ぼんちは、すぐに上方ではそこそこの人気が出て、食うには困らなくなっていた。すると稽古も満足にしなくなり、現状に甘んじてサボることが多くなってきた。「こうなったらアカンで」と言われるほど遊んでいた。

 やがて西川のりお・上方よしお、オール阪神・巨人をはじめ、紳助・竜介などの若手にも瞬く間に抜かれた。同期のB&Bは、「NHK上方漫才コンテスト」で最優秀話術賞を受賞すると、間もなく吉本を辞めて東京に進出していった。MANZAIブームは、もうそこまで来ていた。

 これには負けられないと奮起したザ・ぼんちは、次々に新ネタを開拓、「インタビュー形式」など、相方おさむがより大きくボケることができるネタを生みだした。

 そして1980年。漫才ブームは起こった。

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