◆これでやっとお墓の重さから開放された
久美子さんたちが去った後、清野さんは再び作業着に着替え、墓石の解体が開始された。10以上の石の集合体である墓石を、1つずつ分けて、リモコン操作を駆使してクレーンで吊り上げ、トラックの荷台に運ぶ。それは遠目にはまるで大型のUFOキャッチャーのように見えたが、実際は想像に勝る大がかりな作業だった。
竿石(「○○家之墓」等と記された石)はともかく台座の石は大きいため、2つに割ってから吊り上げる。カロートの枠はワイヤーを巻きつけて枠ごと運ぶが、ワイヤーを巻く位置が重さで少しずれただけでバランスが崩れる。墓所区画を囲む細長いコンクリートも2段重ねで合計12個もある。時にドリルを使い、スコップで地面を掘り、昼食のわずかな時間をはさんで作業が続けられた。午後4時にトラックの積載量が2トンぎりぎりまでになり、一旦終了し、翌日に元のカロート部分を土で埋め、整地をして、墓じまいの施工が完了した。
撤去した墓石は重くて大きいから「嫌われもの」なのだそうだ。普通は産業廃棄物となる。やすらか庵では、ある程度の大きさに割ってから、ジョークラッシャーという粉砕機にかけて砂利にする。懇意にしている茨城県の寺院に寄付し、駐車場に再利用してもらっているそうだ。
この墓じまい施工の4日後、予定通りに4人の遺骨はやすらか庵によって善光寺に運ばれ、共同墓地に合葬された。久美子さんたちはその6日後、東京に住む息子(30代)一家と父の妹2人に声をかけ、善光寺で納骨供養を営んだ。
「これでやっとお墓の重さから解放されました。叔母たちも喜んでくれたし、息子夫婦も『これからときどきお参りがてら長野で集まるのもいいね』って」
久美子さんにとって「遠くのお墓より、近くの納骨堂」ということだったのだろう。長野から届いた声は、晴れ晴れしていた。
※女性セブン2016年12月8日号