そして結婚24年目の2007年に、教団を大きく揺るがす事態が起こった。3代教祖が脳の疾患である硬膜下出血で倒れたのだ。その後も体調はすぐれず、最近では車椅子での生活を余儀なくされている。一方で夫人の姿が教団行事で頻繁に確認されるようになっていく。
2000年代に入ってから教団は、教会の統廃合を進め、かつて400以上あった教会は、いまやおよそ半数にまで減っている。財政状況は良好とはいえず、教団運営をスリム化するのも致し方ないことだろう。しかし、全国の教会はその土地の信者の寄付で建てられたものだ。一方的な統廃合の決定に、教会を第二の“我が家”のように思う信者の不満は募るばかりである。
信者の実数を知る立場にあった元教団教師(布教師)が証言する。
「公称265万人の頃でも、実数は約90万人。現在は公称90万人ですが、機関紙である『芸生新聞』の発行部数から考えれば、数万人程度ではないでしょうか」
信者がここまで激減すれば2世、3世が通うPL学園の生徒数も大きく減った。
かつては3学年で1000人の学生が共同生活を送っていたPL学園高校への入学試験は定員を大きく割り(2015年度の理文選修コースの競争倍率は0.23倍だった)、現在の1年生は2クラスしかない。
そして、春と夏の甲子園を通算7度制し、高校野球ファンの間で絶大な人気を誇った野球部も、昨年夏に廃部となった。
毎年8月1日にはPL花火大会(教祖祭PL花火芸術)が開催される。かつては12万発を打ち上げ、大阪府富田林市に50万人を集めたという真夏の風物詩も、現在では40分程度で打ち止めである。かつての華やかさを知る者にとっては寂しい限りだ。(文中敬称略)
【PROFILE】やながわ・ゆうじ/1976年宮崎県生まれ。週刊誌、スポーツ雑誌を中心に、幅広いテーマで執筆。2016年、PL学園野球部の終焉を描いたルポルタージュ『永遠のPL学園 六〇年目のゲームセット』で小学館ノンフィクション大賞を受賞。
※SAPIO2017年3月号