◆がんの話はなぜかタブー視される
一方湾岸側では呼吸器外科医〈宇垣玲奈〉が西條を師と仰いでいた。初期の肺がんが見つかった厚労省官僚の手術を終え、摘出したがん細胞を次なる作業者に渡して彼女は思う。〈自分たちは正しいことをしている。でも、それは明確な犯罪行為でもある〉と。
謎の計画を巡って物語が二転三転する間、本書ではがん治療の最新情報や抗がん剤の治験や認可の問題、患者側の〈ゼロリスク信仰〉の壁などが、極力わかりやすい形で解説されてゆく。
「最近では樹木希林さんが全身がん宣言をなさったり、『がんと共に生きる時代』を迎えている。ただこれはある患者さんの感想ですが、『それほど一般的ながんの話がなぜか職場や公の場ではタブー視され、真正面から扱う小説もなかった』と。
だからこそミステリーの核そのものにがんを据える必要があると私は思ったし、現段階で理論的には実現可能な技術は悪用もできなくはないという危うさも同時に描いておきたかった。現に医学の進歩は魔法にも近い技術を実現しつつあって、その魔法を生かすも殺すも、結局は人間次第なんです」
実際、がんを操ることで人を操る西條の計画も彼なりの正論には根ざし、その目的と手段の捻じれにこそ、魔は潜んだ。そうした医療と倫理の一線について考える時、目を引くのが夏目たちの〈花見〉だ。瓶や火気は持ち込み禁止の上野公園で、ペットボトルに入れた極上の酒を、生石灰と水の発熱作用を利用した〈自作の燗付け器〉で楽しむ彼らは、〈駄目なもんは駄目〉と普通に言える人々なのだ。