その上、そこでビジネスを始めるとなれば、状況はさらに厳しくなる。東京から『移住先希望ランキング』2位の長野に移住して10年以上経つある夫婦は「雑貨屋を開いているけれど、開店休業状態」と苦笑する。
「東京で貯めたお金と長野で買った家があるから野垂れ死にすることはないけれど、お店としての収入はほぼありません。お店を開けても、やって来るのは道を聞きたい人ばかり…。観光客が来る夏はいいけれど、冬は閉めてしまう飲食店も多くて、正直暮らしづらいです。それでも、他のお店が東京から出店してきても利益が出ずに撤退してしまうのを見ると、とどまれているだけまだいいのかな、と思ったりもします。商店街の中にお店を構えているのですが、この10年で数えきれないほど“お隣さん”が変わりました」
◆やめる時は、始める時の10倍のエネルギーが必要
なんとか営業を続けてきた弘康さんだったが、牧場を開園してから丸6年経った頃、目に異変が起きた。
「犬の散歩をしていたら、視界の上半分に黒い緞帳が下がったように、急に真っ暗になったんです」
網膜裂孔だった。網膜に生じた破れ目のことで、放置すると網膜剥離を引き起こす可能性がある。高齢者になると発症しやすい病気だ。すぐに手術をし、日常生活に支障がないほどに回復した。しかし、激しい運動をして再発してしまえば、網膜にひびが入ったり、失明のおそれもある。
「重いものを持ったり、馬に乗って駆け足をするのはだめだと主治医に言われました。どうしたらいいのか悩み、眠れない夜が続きました」
もし牧場を継続するなら、人を雇わなければならない。しかしそのお金はなかった。いつまでも元気に楽しく、幸せな日々が続くと疑ってやまなかった弘康さん。まさかたどり着いた人生の楽園で、病気に襲われるとは夢にも思わなかった。
しかしそういった“想定外”は、シニア世代にはよく起こる。起業しているいないにかかわらず、これが老後破産や下流老人転落のきっかけとなるのだ。弘康さんは厳しい現実を突きつけられた。
「岐阜や名古屋など、遠くから来てくれる常連さんのことを思うと、やめたくなかったんですけどね…結局、採算が合わず、牧場を引き継いでくれる人も見つからなかったから、牧場を閉鎖せざるをえませんでした。やめるときの方が、始めるときより決断のエネルギーが10倍くらい必要でした。精神的な苦労で、体重が5kgほど減りました。これはなってみないとわからない心持ちですね。苦渋の選択で、最終的には馬ではなく、自分の体を取りました」(弘康さん)