この頃、私の携帯には、スイスを目指す他の日本人患者からも、連絡が届き始めていた。尊厳死の議論さえままならない我が国で、それを超越する安楽死を叶えようと、出国を密かに計画する日本人がいるのだった。
なぜ、彼らは、国外に身を託さねばならないのか。なぜ、母国で、自らの最期を迎えようとしないのか。それは、日本は、「個人の死」に対する議論が浅く、それをタブー視する社会だからだ。
その国民性について、否定するつもりはない。だが、この閉鎖性を生み出した背景は、どこかにあるはずだ。一本の注射で、患者の息の根を止める行為安楽死。これを日本では、殺人と呼ぶ。日本には、患者や家族のためにその行為に及んだことで、運命を暗転させた医師たちがいる。東海大学医学部付属病院、川崎協同病院、京都市立京北病院で起きた「事件」は、安楽死容認への世論を形成するどころか、それを封じ込める役割を担った。
そこで私は、事件の真相を探るべく、各都市に向かった。安楽死を誇らしげに話す欧米の医師たちの笑顔が、まだ鮮明な記憶として残る中で、日本人医師たちは、どんな表情で私に接するのか。私は、日本の安楽死事件簿を、今まさに開封しようとしていた。
【PROFILE】宮下洋一●1976年、長野県生まれ。米ウエスト・バージニア州立大学外国語学部を卒業。スペイン・バルセロナ大学大学院で国際論とジャーナリズム修士号を取得。主な著書に『卵子探しています 世界の不妊・生殖医療現場を訪ねて』など。
※SAPIO2017年5月号