時折、川原の声は、徐々に小さくなっていき、聞き難くなることもあった。Aの異動で、新しく迎えたB医師も、川原に対して厳しい態度をとった。
「子供がこうなるのは、あなたのせいよ」
息子の治療のために通院していたはずが、川原にとっては本末転倒である。私は彼女の言葉を信じたいと思うが、診断された解離性障害というものが、具体的にどういった病で、彼女にどういった症状が現れているのか、目の前の様子を見るだけでは判断に苦しむ。──川原は、私に嘘をついてはいないのだろうか。彼女の中では、すべてが真実なのだろうか……。なぜ、川原は、「毎日、死にたい」と思うようになったのか。彼女はこれまで通院した経験もない。
気持ちがふさぐことはあっても20代前半に相談した医師からは鬱病と診断されるに留まり、自身の症状の深刻さには気を留めていなかった。自殺未遂経験もなかった。だが、息子の入院をきっかけに、幼少期の両親の記憶が蘇る。
「母は、朝ご飯を作ってくれなかった。たまに作ってくれたゆで卵を食べない私を見て、生卵を投げ付け、私の頭は黄身だらけになることもありました。父は酒乱で、私が布団の中で寝ていると、ひたすら蹴って叩き起こしました。だから、今でも寝るのが怖いんです」
医師たちの対応についての真偽を問うことができないが、この言葉を疑うことはできなかった。こうした幼少期のトラウマが、ストレス障害をもたらし、現在の川原を形成しているようだ。