本書にも、わかりやすい悪人はいない。繭子は、保育士として働いてきたこともあって育児に慣れている郁絵に対して劣等感を抱いており、彼女の強さからくる、時に無神経な言葉に追い詰められる。
また、繭子は弁護士の義父と明るい義母を持つ夫の〈旭〉の〈すこやかさ〉に気後れを感じてもいる。繭子の母は元々は教師だったが、ある事件を機に心身の均衡を欠き、実家にゴミを溜めこむようになった。そうした事情を旭にすら隠していたからだ。
「でも、郁絵はたとえば看護師に対して『看護師さん』ではなく、きちんと名前で呼びかけるような気遣いができる側面を持っているし、繭子の母親が心身の均衡を崩すきっかけとなった出来事は、彼女が強く正しい人だったからこそ起きたものなんです。そして、旭がすこやかなのは、もちろん悪いことではありません。ただ、正しさって優しくないと私は思うんです。正論には誰も反論できないから」
そして、この正しさに追い詰められるというのは繭子に限らず育児において起こりがちだと、自身も2児の母である芦沢氏は言う。
「母乳神話や3歳児神話など、正しい育児や家族を巡る数々の神話が存在します。そして今は、インターネットでいろいろな情報が目にできるからこそ、救われることもある反面で追い詰められることもあると思うんです。
育児には正解がない悩みも多いのに、何が正しいのかを膨大な情報の中で探らなければならなかったり、SNSで発信される育児の話はどうしてもイイ話になりがちだからこそ、自分以外は全員優れた母親に思えてしまったり」
だが、それは所詮、虚像の積み重ねでしかない。本書でも、繭子が郁絵に、郁絵が繭子に対して、それぞれ相手の方が自分よりも母性があるんじゃないかと考えるシーンが出てくるが、それは結局のところ、相手の言動を勝手に解釈しているだけでしかない。
「だからこそ、様々な幻想が母親たちを苦しめてしまうんだと思うんです。女性には生まれながらにして母性があって、誰もが子供を産んだ途端、母親になれるという、いわゆる母性神話もその一つだと思います」