記者会見の様子(中央が池田幸治本部長)
幹部たちがやって来ると、警察が車をかなり後方で停車させ、ボディチェックを始めた。カメラの放列の中、すべての幹部が事務所までの約50メートルを徒歩で移動することになった。今回だけはどうしても幹部のそばに近づきたい。胸元の代紋バッジを確認するためだ。
山健組の直参の胸元には山菱の代紋が煌めいている。ということは、離脱派も「山口組」を捨てていない。加えてその代紋は、六代目のものでも神戸のそれでもない。新しく製作したのだ。徽章の納期は2~3週間かかる。最低でもその程度の準備期間はあったと考えるのが妥当である。
尼崎に本部を置く神戸山口組直参の真鍋組・池田幸治組長がやってきた。山菱の代紋はプラチナ製で鎖が巻かれている。白光り&チェーンは執行部の象徴とされる。離脱派のトップと目される織田氏が現われると、マスコミが一斉に駆け寄った。織田氏も池田組長と同じ代紋をつけていた。本来、トップは組織と同義であるとされ、代紋を装着しない。これだけで判断すると織田氏は新団体のトップではないということになる。
集会が終わると突然、最古参の山口組担当雑誌記者が事務所内に呼ばれ、10分程度で戻ってきた。
「記者会見をやります。入れるのは雑誌が記者1名とカメラマン1名、新聞は記者のみ、テレビは全社駄目で、質疑応答はありません」
おお、と押し殺した声が上がる。暴力団が記者会見を行なったのは、1984年、山一抗争(※)の際に一和会が結成された時以来で、実に33年ぶりのことだ。
【※竹中正久組長が四代目を襲名したことに反発した反竹中派が「一和会」を結成。竹中組長は一和会に殺害されたが、山口組の報復が激化。89年の一和会解散まで双方で25人の死者を出した】