そんな芦川を、『学生野郎と娘たち』(1960年)、『青年の椅子』(1962年)などで助監督を務めた岡田裕氏は「楚々たる魅力がある女優だった」と評す。
「当時の日活はアクション映画の全盛期。彼女は裕次郎の相手役というより、一歩下がった添え役を演じることが多かった。非常に地味だけど、必要欠くべからざる存在でした。昔のスターは概して派手でしたが、芦川さんは清楚で穏やか。日活には珍しい、古風で静かなお嬢さまです。昭和初期や大正といった、あの時代でいう古き良き時代の魅力がありました」
撮影現場では、裏方とも普通に挨拶をして会話をし、スタッフの人気も高かった。
「普段でもそんな女性だからこそ、バタ臭い映画で裕次郎の傍にそっといる彼女の魅力を、画面から感じとっていた人がいたのではないでしょうか」(岡田氏)
かつての共演者たちも、芦川の魅力を口々に証言する。『気まぐれ渡世』(1962年)、『硝子のジョニー 野獣のように見えて』(1962年)で共演した俳優・宍戸錠(1983)はこう語る。
「当時、月丘夢路さんや北原三枝さんが松竹から、芦川さんが松竹歌劇団からと、長身の美女たちが日活に入ってきた。自分は日活ニューフェイス1期生でしたが、最初に彼女を見かけた時“彼女はイケる”と確信しました。彼女はたちまちスターにのぼりつめた」