◆「対話で解決」の深層
通訳に手引いてもらい、数少ない地元民へ話を聞いていく。皆、「サード絶対反対」の大合唱である。他方、「北への脅威はどうするのか」と私が聞くと、「対話で解決する」という型通りの反対が返ってくる。唯一、日本滞在経験があり日・英語にも堪能で田舎暮らしを楽しんでいるという社会人大学院生のインテリ才女(40代)だけが、「国防のためにはサードはやむを得ない」などと現実路線なのが印象的であった。
ただし、彼女を含めた村人たちは皆、大統領選挙で文氏に投票したという。
「北とは対話で解決」。ある意味、DMZ(非武装地帯)は別として韓国で最もその国防の前衛に立たされている星州の住民ですら、口々にそういう。韓国はかつて、共産主義者に国を蹂躙された辛酸を、時の経過と記憶の風化によって忘却せしめたのであろうか。
ソウルに戻って梨泰院(龍山)の戦争記念館に行った。朝鮮戦争で北朝鮮軍から鹵獲したソ連製の戦車や制空に活躍した米軍戦闘機、そして朝鮮戦争で死んだ約17万の韓国兵と米国をはじめとした国連軍戦死者の名前が一名一名、レリーフの中に刻まれている。
梨泰院には在韓米軍司令部基地があるが、北がミサイルを発射した直後だというのに何の危機感もない平穏なものであった。
日本にある横須賀、岩国、そして沖縄の米軍基地を見る度に、私は言いようのない敗戦国の屈辱を感じる。だが梨泰院の市民は、夜になれば喧噪の繁華街に軍服で繰り出しテキーラを飲んで上気する米兵を何の違和感もなく受容している。考えてみれば前提が違う。韓国にとって米軍は朝鮮戦争を共に戦った戦友であり、その梨泰院の米軍基地は元来日本軍駐屯地だった。彼らは旧敵ではなく解放者だ。