さらに、言うまでもないことだが韓国にとって北とは、「同じ言葉の通じる」同胞である。「北と対話で解決」と言えば、日本では空想主義者だが韓国ではリアルだ。このリアルの皮膚感覚が、日本人にはわからない。半島情勢を理解するにはどうすればよいか。日韓関係を考えるためには何が必要か。様々な識者や評論家が、嫌韓・親韓・中立の観点から本や原稿を書いてきた。その中には、差別的なものから学術的なものまで、それこそピンからキリまでの状況である。
私など2012年に竹島まで行ったが、感想は「海に突き出た奇岩」。近くて遠い国に住む人々が口々に言う「対話」という念仏の皮膚感覚は、幾ら本を読んでも渡韓しても中々掴みどころがない。しかし、私はようやくその解に近づきつつある。答えは想像力だ。
矢作俊彦が1997年に『あ・じゃ・ぱん』という傑作長編小説を書いた。時空のズレたもうひとつの日本は、冷戦期東西に分割され、東が共産国、西が自由主義国の二つに分かれている。大阪の空港で、「東」から密航しようとした東日本人が逮捕される。彼は叫ぶ。「同じ日本人じゃないか」。しかし、「西」日本の標準語は関西弁だから、その叫びは奇異に聞こえる。でも言葉の意味は通じる。そういう描写がある。分断国家の悲劇と、それが故の心底での共鳴は、私たち日本人にとっては想像力を以って補うしかない。
「日本から来たの? 木村拓哉に似てるね!」と梨泰院の場末の飲み屋で韓国ギャルから些か見当違いな(とはいえ好意的な?)感想を日本語でぶつけられながらも、尚、どうしてもこの国の人々を嫌いになれぬ自分を発見する。
●ふるや・つねひら/1982年北海道生まれ。立命館大学文学部卒業。主な著書に『左翼も右翼もウソばかり』『草食系のための対米自立論』『「意識高い系」の研究』。
※SAPIO2017年7月号