日本は1985年のプラザ合意によって、為替のドル/円レートは1ドル=240円から急激にドル安・円高が進み、1987年末には121円台になってドルの価値は半減した。その後もドル安・円高の流れは止まらず、1994年に100円を突破し、1995年4月には瞬間的に79円台を記録した。固定相場制時代の1ドル=360円から見れば、円の価値は4.5倍になったのである。中国の人民元は2005年までの固定相場制時代は1ドル=8.28元だったので、4.5倍になったら1ドル=2元になってしまう。
日本企業はプラザ合意後の急激なドル安・円高を、イノベーション、生産性向上、コストダウンの努力と生産の海外移転によって乗り越え、「為替耐性」をつけた。たとえば、日本の自動車メーカーは品質とブランド力の向上によって1万3000ドルで売っていた車種を5万ドルで売れるようになったし、今や海外で1800万台を生産するまでになっている。
しかし、中国企業に日本と同じことはできないだろう。もし“中国版プラザ合意”が起きて1ドル=2元(その半分の4元でも)になったら、中国企業の経営者は誰もモノを作る気がなくなり、日本企業のように地道な努力はしないで全員が不動産投機に走ると思う。つまり、製造業が崩壊し、その一方でかつての日本のように国内で不動産バブルが膨らむわけだ。
プラザ合意後の日本では不動産が暴騰し、東京都の山手線内側の土地価格でアメリカ全土が買えるという試算も出たほどだった。日本企業は強くなった円でニューヨーク、ロサンゼルス、ハワイなど世界中で不動産を買いまくった。それと同じことが中国発で起きるのだ。