それというのも、1980年代、タモリがメディアで「名古屋ではエビフライのことをエビフリャーと言う」とか「言葉の端々に『みゃー』をつけてみゃーみゃー言う」などと「名古屋いじりネタ」を連発したからだった。当時、名古屋で深夜放送やタウン誌に関わっていた私は、東京の新聞・雑誌・ラジオなどから「名古屋の人はどれくらいの頻度でエビフライを食べるのか」「みゃーと言うのか」と何度も問い合わせを受けた。時には、「『行こうよ』を名古屋弁で言うと『行こみゃー』でいいですか」などとまじめな名古屋弁翻訳の問い合わせまできて、その影響力に驚いたものだ。
そんな中での『ブラタモリ』。どんな内容かと思ったら、前編ではタモリも相方の近江友里恵アナも初めて訪れたという名古屋城へ。金のしゃちほこや石垣、巨大な堀をチェックした後は城下町の成り立ちについて専門家に聞きながら歩く。
後編は、年間700万人が訪れるという熱田神宮で信長、秀吉、家康直筆の手紙を見てから門前町、船着き場などを見て回る。エビフライを食べる写真なども出てきり、前編の冒頭、「知っとられる?」などネイティブ並みという名古屋弁を披露したが、基本は名古屋の町づくり歴史探訪だった。
これが市長の言う「和解」かどうかはよくわからないし、そもそも和解するようなことだったのかとも思えるが、心配なのは「名古屋の今後」だ。考えてみれば、タモリ以前もタモリ以降も、「誰もが記憶する名古屋ネタ」はないのである。東京、大阪、横浜、神戸のように全国的に知られるご当地ソングもない。30年以上、タモリの悪口で語られてきた街ともいえる。
昨年は、主要8都市で「行きたくない街No.1」にも選ばれてしまった。これを逆手にとって図々しく売り出すなんてことをしないのが、名古屋らしい気もするが、タモリという最強カードを失った今、次にどんなカードを持ってこられるか。いっそ、番組で「名古屋の人と仲がいい」と発言したタモリ本人に聞いてみるのが一番いいのかも。新たなタモリ×名古屋伝説、それしかない。