山口が打ち込まれる姿を見ると、長嶋茂雄と江川卓の関係を思い出す。1978年秋、「空白の1日」事件で、江川の巨人入団が決まったかのように思われたが、直後のドラフト会議で阪神が交渉権を獲得。翌年のキャンプイン前日に小林繁との交換トレードで、江川は巨人に移籍。シーズンでは当然、小林vs江川の対決が期待された。
だが、長嶋監督は「江川が勝てると確信できる時までは、投げ合いをさせない」と対決を拒否。ファンを第一に考えるミスターとしては珍しい考え方だった。大バッシングを浴びていた江川が小林に負ければ、さらなる攻撃を受けるのは間違いない。マスコミから守るため、金の卵を壊さないため、長嶋は1年目、小林との対戦を避けた。そして、勝てるという確信を得た2年目の1980年8月16日の後楽園球場で初対決させ、江川は完投勝利を挙げた。
山口は4回、今永への初球を内角に投げ込むと、左翼席のDeNAファンから大ブーイングが巻き起こった。5対0と大量リードで打ち気のなかった今永からは三振を奪ったが、続く9番の倉本から桑原、石川の3連打で1点を追加された。巨人は、野手がマウンドに向かうこともなければ、ベンチから首脳陣が飛び出すこともなかった。本拠地・東京ドームにいながら、山口は孤独感を味わっていたのではないか。先発起用を含め、高橋由伸監督に山口俊を思いやる気持ちはあったのだろうか。
「たしかに山口俊1人のためにローテーションを崩すわけにもいかないでしょうし、敢えて高い壁を与えて打ち勝つことでプレッシャーに強い選手になってほしいという思いもあるかもしれません。でも、高橋監督は前日の8回に阿部慎之助を代打に送る際、相手チームの出方を見ながら、阿部をいったん制止させた。左だろうが、右だろうが、阿部ほどの打者には関係ないですよ。絶好のチャンスで打席に向かう阿部の気持ちを削ぐような行為だった。結果、阿部は凡退している。今回の山口の先発起用に限らず、高橋監督の采配には、あまり愛が感じられないのは事実です」
山口は4回6失点で降板。チームは9対1で敗れ、菅野、マイコラス、山口俊とエース級の3人が先発したDeNAとの3連戦で3連敗を喫した。7月初旬で自力優勝の消滅した巨人を浮上させるような采配を、高橋監督がふるうことはできるのか。