小笠原:そこでぼくは「そもそも退院する時に『いつ死ぬかわからない』と言われていたんです。家に帰れて、2週間も笑顔で元気に過ごせたこと自体が奇跡だと思いませんか。でも元気になったからといって、病気が治ったわけではないんです。あのまま病院で最期まで苦しんで亡くなる方がよかったんですか? ぴんぴんころりとはこういうものですよ」って。
上野:ちゃんと言い返しましたか。
小笠原:言いました。そういう事例のおかげで「お別れパンフ」(※1)ができたんです。
※1:「患者さんにこういう症状が出たら、最期の時が近づいていますよ」を書いたパンフレットのこと。小笠原内科で使っている。
上野:家族が告知を拒否したケースも書いておられますね。
小笠原:59才の男性は、副鼻腔のがんが発覚して、左目も一緒に取る手術をしなければならなかったんです。でも、家族が頑なに告知を拒否する。「目を取るのは嫌だ。小笠原先生を信用しているから本当のことを言ってくれ」と言う患者さんの後ろで、家族が「言わないでくれ」と拝むんです。
仕方なく、「目も取ってもらった方がいいかなぁ」としか言えなかった。その結果、目を取らないという中途半端な選択をして、半年後に苦しんで亡くなってしまった。当時は開業して間もない頃で、家族を説得するスキルも、告知後のフォローをするスキルもなかった。スキルをもっと磨かなければと強く思ったんです。
上野:昔は家族の意向が優先されて、本人にもがんを告知しないものだったんですね。
小笠原:ぼくは昭和48年に医師になって2年後、勤務していた病院の上司に「先生、がんの告知をしましょうよ」と訴え出たことがあるんです。当時は良性腫瘍とか感染症だと、ごまかしていた。でも治らないから、患者さんは不信感でいっぱいになってしまう。そういう顔を見るのがつらくて、病室に行けなくなってしまったんです。
上野:それじゃ患者さんには不信感しかない、そういう関係はつらいですね。
小笠原:で、上司が言いましたね。「告知すれば落ち込んだ患者のフォローを、1時間でも2時間でもしなきゃいけない。こんな忙しい病院勤務で告知をしたら、お前は過労で間違いなく死ぬ。やめておけ」と。それで、嘘をつかなくていい循環器の道に進みました。