「友だちと二人でね、十円玉を放り投げて裏が出たらストリップ劇場、表なら歌舞伎に行こうってんで、毎日のように通ってました。ストリップっていっても目的は合間の軽演劇です。足繁く通うもんだから、顔を覚えられちゃってね。
ある時、劇場の階段で、座長だった石井均さんとバッタリ出くわした。『楽屋に来るかい?』『はい』。このやりとりで、なんとなくこの世界に入っちゃったんだから人生わからない。たった数秒ですよ。数秒ずれてたら階段で出くわすこともなかった」
伊東四朗を育てたのは、喜劇の舞台だ。やがて三波伸介、戸塚睦夫と共にトリオを結成し(のちの「てんぷくトリオ」)、28歳でテレビに進出。現在、CMやドラマで幅広く活躍していることは衆目の知るところだが、本人の中では、新たな仕事の依頼が来るたびに、「なぜオレなんだ?」という疑問がいまだ拭えないのだという
「電線音頭もそう。プロデューサーから『伊東さん、今度、電線軍団やりますから』って言われて、『何それ?』と尋ねたら、『伊東さんが団長です。小松政夫さんにキャンディーズも付けますから』ってんで押し切られた。こりゃすぐ終わるな、と思ってね。名前も『ベンジャミン伊東』といい加減なのにして、『あれ誰?』って言われてるうちに終わればいいな、と」
こうして1976年、39歳の時に始まった『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』(テレビ朝日系)だが、思いがけずその「電線音頭」が大ヒット。髪を逆立て、鞭を振り回しながら歌い踊る奇怪なベンジャミン伊東は一世を風靡する。
「その頃、ドラマで非常に真面目な役が持ち込まれたんです。第一次大戦中の俘虜収容所の話で、私はそこの交番に勤務する警官の役。ひょっとしたら電線音頭を知らないんだなと思って、依頼してきた方に言ったんです。『私は今、電線音頭で世間を騒がせていますが……』。そしたら『それがどうかしましたか』って。嬉しくてね。電線マン=伊東四朗じゃなくて、別人格で扱ってくれた」