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2017.08.15 07:00  女性セブン

日本兵と心を通わせた豹「ハチ」の物語【後編】

 1945年、日本は敗戦を迎え、成岡は復員。高知に戻ってからも、彼の脳裏からハチの無念が消えることはなかった。ここからの成岡の行動が、真っ直ぐな土佐人気質を表している。

「せめてハチの魂を救いたいと、剥製をもらい受けるべく園長代理の福田さんに掛け合ったのです。何としてもハチを自分の手元に置きたいという、深い愛情と執念です」(門田氏)

 福田は彼の真摯な思いに胸を打たれ、妙案を考える。ハチの剥製が傷んだことを理由に一度廃棄物として処理し、その後所有者を成岡に移したのだ。こうして1948年、成岡のもとにハチが戻ってきた。成岡の孫である俊昌氏がハチの思い出を語る。

「祖父は復員後、高知市内で喫茶店を経営していたのですが、ぼくが物心ついた頃から店内にはハチの剥製がありました。祖父は毎朝、剥製の横に腰かけてコーヒーを飲むのが日課でした。お客さんがハチに気づくと、当時の思い出話をしてあげてね…。

 近所にはともに戦場に行った戦友も住んでいましたから、時折集まっては皆でハチの話をしていました。もし生きていたら動物園から引き取って、ハチとともに生活したいという思いがあったようです」

 今はなきこの喫茶店は「パンサー」(英語で豹の意味)と命名されている。1981年、店の傍に「子ども科学図書館」が開館すると、成岡は剥製の寄贈を決める。

「子供たちにハチの存在を知ってほしかったそうです。もともと自宅ではなく喫茶店内に剥製を置いたのも、お客さんにハチのことを伝えたかったから。寄贈後は寂しそうにしていましたが、時折図書館に足を運び、ハチと会っていたようです。1994年、祖父は84才で亡くなりましたが、死の間際までハチを思い続けていました。今頃、天国でハチと再会して、幸せに暮らしていると思いますよ」(俊昌氏)

 以後、2004年に剥製を修復するための募金活動が始まり、2009年4月に修復作業が完成。壊れていた足が直り、目も入れ替えて、毛並みもきれいになったハチが復活した。

「ハチを知る元鯨部隊のかたからは、“実際の目はもっと穏やかだった〟と言う声もありますが、多くの人々が剥製の修復に尽力してくれたことは、彼らも嬉しかったでしょう」(門田氏)

 2011年7月には、前出のペギー葉山さんも同館を訪れ、ハチと会っている。常々、鯨部隊とハチのかかわりについて聞いていたペギーさんは、この日のことをブログにこう綴っている。

〈ハチ、やっと逢えたね! 遠い中国での日中戦争の最中、日本の兵隊さんのアイドルとなってあなたは遠く故郷を離れて戦っていた兵隊さんへの「心の癒し」だったのよね〉

〈毎晩露営をしながら故郷を思いながら兵隊さんの歌う、あの「南国土佐を後にして」にあなたは、耳を傾けていたんだよね〉

 子ども科学図書館の館長・吉岡健一氏が語る。

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