勢いそのままに翌日は大関高安戦。小手投げにいったかと思いきや、回り込んで腕をつかむ。次から次へと技を繰り出す宇良に高安はたじたじ。一瞬距離が開くと、宇良はムーンウォークのようになめらかに後ろに下がり、俵を蹴った反動で高安に体当たり。そしてもう一度ムーンウォーク。
相手に押し込まれ土俵際に追い詰められたものの屈せず、という相撲はたまに見るが……自ら後退し、俵をスターティングブロックとして利用する力士がこれまでいたのだろうか? 宇良のムーンウォークパフォーマンスには、もう一人の出演者がいた。取組を裁いていた行司、式守勘太夫である。
直径四・五五メートルの土俵の中央よりはるか向こう(私の目には三メートル以上先)で尻を見せていた宇良が後ろ向きに、しかも自分が立っているその場所に半秒後にすべってくることを察知、そして踊るようにスライド。私は「なんたる反射神経!」と叫んでしまう。そして二度目がさらに凄かった。勘太夫は高い横っ飛びをし、宇良に場所を開けた。宇良の二度の奇襲は、裁く行司が勘太夫でなければ実現しなかった。
絶体絶命の高安の打った首投げに負けてしまったが、九十九パーセント宇良の相撲であった。レスリング経験ののぞくアクロバティックさはこれまで知ってはいたが、この高安戦は宇良物語のハイライトの一つになるだろう。宇良ここにあり、と印象づけた一番ではあったのだが、右ひざを痛めてしまった。
しかし宇良は休場しなかった。勝ち越しの可能性が残されている六勝が、あだになっていたと思われる。白鵬を苦戦させたこと、日馬富士から金星を得ていること、そして高安戦での大ハッスル。それらを無駄にしたくない、との気持ちもあったのでは。五連敗の後、千秋楽に勝って七勝八敗で名古屋場所を終えた宇良は、夏巡業に参加せず治療に専念している。