◆安楽死が幸福を呼ぶ
欧州にわたって20年を経た私だが、死生観に関しては、どこまでいっても日本人気質が宿っていた。逆に考えれば、「個人」の生き方に重きを置く欧米だからこそ、安楽死の自由を願う人がいるのだと、このとき納得していた。
日本では、実質的に安楽死が認められていない。だから、安楽死が取り沙汰される際は、それを決行した医師に対する刑事事件が発生したことを意味する。東海大学医学部付属病院(1991年)、国保京北病院(1996年)、川崎協同病院(1998年)でそれぞれ起きた事件は、どこまで医師が自発的に行ったかが、長らくベールに包まれてきた。
私は、手を尽くして当事者の声を探った。だがこの問題は今でもタブーとされ、関係者の口は一様に堅い。ある医師が、私に語った言葉が耳に残っている。
「君がいくら正義感を持ってやっているとしても悪い影響力を出していることを君は何も考えていないのか」
やはり、日本で、安楽死という観念を探るのは難しいのか。そう思っていた頃、法律で規制されている日本から離れ、スイスに渡って安楽死を求める人々がいる事実を私は耳にし、衝撃を受けた。その数は3人。みな、プライシック女医の自殺幇助団体「ライフサークル」に会員登録済みなのだった。
全員の対面取材は叶わなかったが、各々からのメールが私に届いていた。彼らが安楽死を望む理由は共通し、ベルギーで見た精神疾患から来る死への切望だった。