36年前から障害者雇用を主軸とするホンダの特例子会社、ホンダ太陽は車やバイクの部品を生産。障害者の雇用率は51.9%で、健常者と作業台を並べて組み立てや品質管理を行う。一方、本田技術研究所の特例子会社である“ホンダR&D太陽”の障害者雇用率は84.6%。最新のCAD技術を駆使した機械設計などデスクワークがメーンで、福祉機器や車、バイクの汎用製品の研究開発を行う。
ホンダ太陽・ホンダR&D太陽にはスポーツアスリートをバックアップする「ホンダアスリートクラブ」がある。メンバーになるには競技会での勝敗やクリアすべきタイムなど厳しい条件があるが、所属選手になれば就業は午前中のみ、午後からは練習に打ち込める。陸上競技3選手に話を聞いた。
ホンダアスリートクラブ代表でハーフマラソンを中心に活躍する渡辺習輔さん(49才・写真右)は兵庫県出身。コーチとして後進の指導をはじめ、障害のある子供たちにスポーツを通じて体を動かす楽しさを伝える「キッズスポッチャ」など、地域との交流を兼ねたイベントを仕切ってもいる。
渡辺さんは17才の時、父親が運転する車に同乗中、崖から車ごと転落。思わず天井を手で押さえ体を突っ張ったことで頸椎を損傷。外傷はなかったが、その日から下肢の感覚を失った。
「そこから車いすです。高校出て設計事務所で図面を引いてたんですが、28才になる直前に阪神・淡路大震災が起こって仕事がなくなった。『2~3年、九州行っておいでよ』とハローワークに言われて…。当時、ここしか仕事がなかったんですよ(苦笑)」
入社してからは、競技用車いす「レーサー」の設計を担当した。しかしそれまで、車いす競技などは「なんで障害者がスポーツせなあかんのか?」と思っていたという。
「でも図面引いて、自分が作ったレーサーを走らせてみたら、こんな楽しいもん、この世にないやん!って(笑い)」
◆「それまで将来なんて、考えたことはなかった」
実は佐矢野利明さん(29才・写真中)がホンダR&D太陽に入社したのは、理学療法士を通して知り合った渡辺さんの勧めがあったからだ。養護学校が“唯一の外界”だった佐矢野さんをドライブがてらちょっと大会に連れ出し、レーサーでの走り込みを指導した。
ある程度走れるようになったところで、佐矢野さんはホンダR&D太陽入社に必要な知識を得るため、職業訓練校へ進学した。
「彼が、養護学校から職業訓練校に進学した初めてのケースなんですよ」と渡辺さん。
アスリートとしての第一歩を踏み出した佐矢野さん。それは社会人としての自立第一歩でもあった。
「レーサーに乗るまでは、将来なんて考えたことなかったし、考えられなかったです。もともと障害があるから、スポーツに対して苦手意識がありましたし…。でも、渡辺さんはじめ先輩のみなさんが生き生きと仕事や競技に打ち込んでいるのを見て、自分も目的をもって生きていきたいと思うようになったんですね。10代の頃とはすごく変わったと自分で思います。何かに取り組むことに抵抗がなくなりましたから。