◆仕事の合間にモルヒネを──
「あれっ、呼吸してる?」
次男・敏和が、ハンドルを握りながら、何度も助手席を見る。酸素ボンベの吸入音が、時々弱くなるからだ。その度、松野は目をギロリと光らせて平静を装った。会社を設立した当時の自分と、敏和は同じ年齢だ。立派にやれるだろう。
後部座席の妻・泰子は、夫らしい“終活”に寄り添うことを決めていた。敏和と泰子が交代でハンドルを握り、午後1時前には広島に到着した。
「息子の敏和が社長になりますので、今後もお引き立てをお願いします」
業界団体の会合会場で、松野は酸素ボンベを引きずり、取引先や仕事仲間に、片っ端から敏和を紹介した。物腰の柔らかさ、キメ細やかな気配り、面倒見の良さ。経営者として生きてきた男の姿があった。家では絶対君主のように振る舞う父とは別の顔を敏和は知った。
会場の片隅で、松野は小さなスティックを開けて、吸い込んだ。モルヒネのオプソ(注4)である。がん特有の“身の置き場がない痛み”をオプソで鎮めると、松野はまた人の輪に戻っていった。
【注4:オプソ/モルヒネがゼリー状になったもので、スティックタイプの包装。がん疼痛に30分程度で効果が出る】