この一連の構図は、捜査機関がいったん走り出すと、面子にかけても有罪にしようとの行動原理が働くことを示している。そうでなければ、世間から非難され、捜査員や検察官の、その後の出世に響くからだろう。そして、「疑わしきは被告人の利益」という刑事裁判の大原則を忘れた裁判官が、“裁判に値しない裁判”をすることで、簡単に冤罪が生み出されていくわけだ。昨年、再審無罪が確定。
「『子どもを亡くした母親』から『子どもを殺した母親』」にされてしまった著者は、その汚名を晴らしながら、無辜の民を極悪非道の犯罪者に仕立て上げる捜査機関と司法の“犯罪”を告発している。
※週刊ポスト2017年10月27日号