それこそ帰省直後、父が骨折して運ばれたのが因縁の〈海生病院〉で、奈緒が母の死に疑念を抱いたのも、そこでの看護師の一言が原因だった。看護師は〈手術をやめなさい〉と転院を勧めたが、院に要望は通らず、母は合併症で死亡。そのまま看護師は退職し、名前もわからずじまいだが、奈緒は三上の勧めもあって同院に就職。涼介と新生活をスタートさせるのだ。
◆不幸を嘆くより自分から動く
海と山に囲まれた丹後に育った奈緒が、蝶を追って山中に迷い込んだ幼い日の反省を回想する場面がある。〈欲張ってはいけない。求めすぎてはいけない〉〈それからはもう必要以上に欲しがることなどしなかった〉
そうした大自然の教えと、夫に従順なだけの謙虚さは、似ているようで全く違い、彼女は粛々と死に向き合う〈トクさん〉や〈早川さん〉との交流を通じて、人生や生死に関する程よい態度を学んでいくようでもある。また涼介と昆虫博士・三上の関係も微笑ましく、本書は医療小説でありながら、死より生に光を当てる。
「今のペインクリニックでも、死ぬまでどう生きるかを問題にしていて、三上でいえば〈山全体がホスピス〉の状態。家族と別居するトクさんも最期を看取る医師さえいれば、山にいたまま死ぬことができるんですね。その三上もここに来るにはそれなりのワケがある。彼や早川さんらが抱える過去や傷が、〈おもり〉としてその人を生に繋ぎとめることもあると私は思うのです」
やがて明らかになる三上のおもりの正体はさておき、涼介の存在が老人の頑なな心を和らげるなど、ほんの通りすがり程度であっても、人は人に支えられて生きていた。例えばある人がある人に言う。〈誰にも救ってもらえないのなら、あなたが救う人になればいい。救われないなら救いなさい〉