「例えば誘拐結婚でいうと、それが伝統だという意見と人権の侵害だという意見が両方あり、私自身、それを苦に自殺した人も幸せになった人も両方見ている。実は今のような暴力的な誘拐結婚が増えたのは20世紀以降で、伝統ではないらしいのですが、私にできるのは誘拐結婚を巡る多様な現実を撮ることであり、是非を糾すことではないと思う。
むろん発端はキルギスにアラ・カチューという惨い結婚形態があるらしいとか、パキスタンで夫から硫酸を顔にかけられた被害者を取材しようとか、社会的な問題意識に始まってはいる。ただしその場合も先入観や予断を避け、現場での出会いや実感を大事にしながら、コンセプトや伝え方もじっくり時間をかけて考え抜くように心がけています」
〈日本ではフォトジャーナリズムが不在であるように思う〉とある。特に〈上手い写真〉なら誰でも撮れる中、自らの経験を志望者と共有するために書かれたという本書は、自身の来歴やフリーとして活動する上で必要な精神的・金銭的条件など、話は具体論にも及ぶ。
国際機関の職員に憧れ、渡米して国際政治学を学んだのも、「今考えれば学生にありがちな漠然とした夢」だったという。が、The Pointでハビブとジャスティスという2人の記者と出会い、復学後も再訪するほど親交を深めた彼女は、2008年11月、そのハビブが27歳の若さで急死したとの報せを受ける。
一方ジャスティスも〈ガンビア陸軍の靴を履いた男〉に襲われ、セネガルへ亡命。志を貫いた代償はあまりに大きく、林氏は〈経済的に余裕があったら、家でも車でもなく、新聞社をつくりたい〉と語っていたハビブ達の切実な情熱に突き動かされ、自らも写真表現者として生きることを誓うのだ。