「日本で漫然と生きてきた私にとって、日々命がけで働く彼らの姿はまさに衝撃的でした。ジャーナリズムの存在意義を常に考えるようになりました。最近、イラクでヤズディの取材をした時にも、ISによる攻撃で故郷を追われたある男性が、こちらを向いて言ったんです、『どうか自分たちのことを世界中に伝えてほしい、メディアの力は武器より強いから』と。
その時、私は今もハビブたちとの取材活動の延長にいるんだなとガンビアのことが頭をよぎりました。彼らが何と闘い、どう生きたかを知って欲しいと素直に思った、あの当時の感情は今でも覚えています」
◆真実とは何か、何を美とするか
カンボジアではHIVの母子感染者、ボンヘイ少年に密着。屑拾いで1日1ドルをようやく稼ぐ彼が母親や祖母と住む家で共に過ごす。元々耳が聞こえず、会話もできない彼が何をどう感じ、何を愛したか、その成長をありのままに撮り続けた。
「彼は2016年夏、14歳で亡くなりますが、忘れられないのがその年末、私の写真展で出会った男性の涙でした。『新書に出てきたボンヘイ君は元気ですか?』と気にかけて下さった彼は、私が事情を話すとその場に立ち尽くし、涙ぐまれた。
私自身、取材者として出会ったHIV感染者のボンヘイと生活するうちに、彼という一人の人間を撮るようになった。きっとその方も自分の中に棲みついたボンヘイのその後を、個人的に心配してくれていたんだと思うんです。
そうした個人の関係こそ私が構築したかったもの。ベトナム戦争の頃のように写真が現実を変えられると無邪気に信じられなくなった時代にも、より個人的で小さな変化を起こすことは十分可能だと思う。むしろ一人一人の意識が変わり、想像力を持った人が増えることの方が大事な気がします。社会的・人道的な見地から取材を始めても、最終的には個人に届くかどうかが、私はフォトジャーナリズムの生命線だと思う」